中学受験はやっぱりドラマになってしまう
2012年 01月 31日

もちろん、趣旨としてはそうです。成績はめまぐるしくアップダウン、特に六年秋は急降下でヒヤヒヤ、無理目な熱望第一志望、そして奇跡の合格!! なんてストーリーは、話として読む分にはおもしろいけれど、自分のうちの話としてはぜひ避けたい(-_-;;
毎日、こつこつと、たんたんと、地道な勉強を積み重ねることによって、着実な成長を遂げ、その結果として、「似合う」学校に手堅く合格。
本命入試の前日は、「やるだけのことはやった。大丈夫、普段どおり受けておいで」という感じで、消化のいいもの食べて、十分余裕を持って早く寝て。
…うむうむ。すべからく、そうありたいものです。
こじろうの入試は、ある程度そういう、「平らかな受験」の条件を満たしていたと思うんですよ。基礎を重視して着実な勉強をしていたし、六年の成績は非常に安定していたし、無理のない志望校設定をしていたし。
だから、他人からみて、どきどきはらはら、ドラマティックな受験というものではなかったと思う。
なのになぜ、いまだに、1月31日となると胸がきゅーっとどきどきして、2月1日となると祈るような気持ちになっちゃうのでしょうか。
私はその年、こじろうの中学受験とまたろうの高校受験、いっぺんに体験したのですが、高校受験に関してはそんなふうに「きゅーっと」はならない(^^;; 世間一般でいうともちろんそれは、中学受験ならば「親子の受験」であっても、高校受験は本人の受験だからということになると思うのですが、うちに限ってはそうではない。
はっきり言って、またろうの受験のほうがずっと親の労力と、心痛がかかってます(-_-;;
それでもやっぱり、中学受験は(自分にとって)ドラマであって、高校受験はドラマでない、そんなふうに感じるのです。
それは何が違うのかなと考えると、一番のポイントは
「2月1日に凝縮された緊張感」
…高校受験は、日程が広くばらけていて、たとえばですがインフルエンザにかかったらどうしようという恐怖もそれなりですみます。私立、国立、都立とパラパラと分布しているので、どれも受けられないというようなことはあまり考えられない。
もうひとつのポイントは、12歳の子どものすることとて、それに短い試験時間で実力を発揮しなければいけないという制約から、大学受験より、高校受験より、「水もの」感が強いからだと思います。
当時の記事を読み返してみますと、よしぞう隔離騒ぎから、上っ調子こじろうの過去問算数大コケ、そして一点して二月一日の厳粛な気持ち。まぁ、およそ平常心からはかけはなれていますね…
そしてぎゅーっと引き絞って一気に解放される合格発表。
これがドラマにならないわけがない。
私にとって、こじろうの中学受験はものすごいドラマでした。
たぶん、誰でもそうなのでしょう。100%平常心で、冷静な親子なんていない。
もういいんです、それで。
たいへんですけど、そこをくぐって出てきたら、何かが変わっている。財産が増えている。
すべての中学受験生が、「似合う」学校にめぐり合えますように。
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▲ by an-dan-te | 2012-01-31 12:55 | 中学受験 | Comments(12)