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2013年 04月 25日 ( 1 )   

そして、塾の宿題   

学校の宿題をそのように「道徳」として捉えることで生まれる価値があるとしたら、塾の宿題も同じように考えてもよいかもしれません。

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学校へ行くからには、宿題もきちんとやる。
塾へ行くからには、宿題もきちんとやる。

…わかりやすいです。

ただ、そのすべてが、どうやっても生活時間内に収まらない場合にどうするのかということが問題です。

宿題をきちんとできないんなら、塾を(中学受験を)やめますか?

私は、そこまでこの道徳に肩入れしていません。おそらくは、塾の先生だって
・宿題を仕上げるために、もろもろ(睡眠時間、遊びや休息時間)削って無理やり詰め込んで、心身の健康を壊す。
・宿題を形式上こなすために、「テキトーに」やる。よくわからないまま、写してでも仕上げて、提出する。
・できないからには、すっぱり塾をやめる。
のいずれも望んではいないでしょう。

塾の先生と、親と、本人と、利害は一致しています。いや、完璧に一致してるかどうかは知りませんが、少なくとも、地に足がついてきちんと学習が進み、成績を伸ばしていくことが望みです。その点、紛れはありません。

宿題なんだから、気に入らないとか不要だとかしのごの言わずに仕上げて出すべし。という道徳は、学校システムのほうに任せておきましょう。

基本に返って考えれば、宿題というのは、塾カリキュラムに乗って学習を進めていく上で、授業を補完し定着を促すのが目的であったはずです。その目的にかない、結果として学力がつき、さらに目指す学校に合格するなら、すべてHAPPYです。先生に対する義理としてもちっとも欠いてるとは思いません。「宿題なんだからとにかくやる」道徳とは違う流儀ですが、人として悪くはないと思います。

たとえばですが、A: 基本問題 B: 応用問題が宿題となっていた場合に、A+Bを解いていくこともできなくはないとしても、その子にとって、Aを二回転してふりかえりもしてキレイに穴埋めしてBは放棄するほうが、A+Bをひととおり解くよりも学習効果が上がるとすれば、だんぜん前者を採用したいです、私は。

幸い、日能研では、宿題といわれたものを提出しないからといってなんのお咎めもなかったので、はなひめ本人を説得するだけでよく(それはそれで大変だったんですけど、本人も、できないんだからしかたありません)、あとはまぁ仁義を切るというか、個人面談のときにかくかくしかじかでこうやってます、と事後了解だけ取ったりしていました。

塾が違えば、あるいは塾が同じでも先生が違えば、宿題を提出しないと気まずいという場合もあるかもしれません。その場合は、事前に大人どうし話をつけておき、本人に合った課題の質と量を宿題として提出させてもらえるようにしておけばよいでしょう。

また、そのように、なんらかの形で先生の了解をとっておけば、宿題を無視したことにはならず、宿題をアレンジしたうえできちんとこなしたことになります。大事なことは、塾カリキュラムが生きて、学習がつつがなく進むことなのですから。これもまた別の形の道徳といってもいいかもしれません。

先生の指示どおり従うという、「学校の宿題」の道徳。
塾カリキュラムを生かす、身につけるという、「塾の宿題」の道徳。

どちらも誠実にこなしていれば、十分、スムーズに中学生活につながっていくと思うのです。

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by an-dan-te | 2013-04-25 12:38 | 中学受験