人気ブログランキング |

家庭教師だったころ -生活つながりの話   

家庭教師をやった9人の中で、中学受験生はひとりだけだった。

依頼されたのは六年生の9月。三年生から週三回とか、ずっと塾に行っていた子なんだけど、どうにも成績が上がらないからなんとかしてほしいとのこと。でも、それだけじっくりやってきたのに、今から半年で何を!? (o_o;;

会ってみると、とっても素直で感じのいい女の子。こちらが何かいっても、「ハイ!」と気持ちいい返事、笑顔にっこり。親御さんの話によれば、素直でまじめな子なので、塾でもいわれた宿題とかはきちんとやっているそうだ。何も問題なさそうなのに??

解けなかった問題について、こちらが説明をしているとき、傾聴の態度は抜群。ほどよくタイミングよく相槌をうちながら、真摯に聴き入っている…ようにみえる…しかし、なんとなく手ごたえがつかみにくく、頼りない。そして、その子がしっかりわかっているところから説明を始めようとして分け入っていくと、どこまでいっても足に地面がつかないような底なしの感触。

何の説明をしてたか忘れたが、「東に3km行ったとして…」のように説明していると、なーんとなく反応がおかしいので、東西南北を紙に描かせると、東西が対になってない(;_;)
#「東西南北」の順に時計回りに描いたと思ってください

そこでふと思いついて、その子の部屋(東南角部屋だった)で、「朝はどっちから日が差す?」と聞いてみると、これがわからない。毎朝この部屋で目覚めているはずなのだが。

一事が万事この調子で、「塾で習った事柄」と「生活」には、まったく接点がない。クソ暑い日がいったい気温何度くらいなのか、冷蔵庫のひんやりは何度くらいなのか、考えたこともない。トランプの勝ち負けも気にならない(勝負には淡白らしい)ので確率を考える必要がない。

それから、例えば牛乳のこんくらいの(←ジェスチャー入れる)紙パックのやつが1リットルだとか、学校で飲む牛乳瓶は200ccだからその5本分になるんだとか、とにかく、これまでにふと聞きかじって、何も現実生活と接点のないまま過ぎ去っていったものごとを着地させるための「釘」を打つことに注力した。

国語も、入試問題はあまりに「話が遠い」感じなので、その子が好きで読んでいるというコバルト文庫を見せてもらって、その中から簡単な読解問題を出したりしていた。好きといっても、挿絵やだいたいの雰囲気を楽しんでいるだけで、あまり細かいところはきちんと把握していないようだった。あらためて丁寧に読んでみたら、ひとつでもふたつでも「あぁ」と違うおもしろさに気づいたという体験ができればそれでいいかなと思った。

それでも、時は秋。六年生。週一回こんなことやっていてこの先どうなるのか??

塾(あいかわらずびっしり通っていた)では入試問題とかもやっていたようだが、私はまったく、入試対策まで辿り着かなかった。

結果、不合格はいくつも出たのだが、最後に1つ、Y偏差値50くらいの学校で望外の合格が出て、本人も親も大喜びだった。家庭教師的には成功なのかもしれないが、私が何か(入試の結果という意味で)あまり役に立ったとは思えなかった。これからの人生で何か役に立ってくれるといいけど。


ひっかかりがなく、つるーっとすべっていってしまった、塾の膨大な授業時間がもったいない。やっぱり「釘打ち」が先にないと…。

by an-dan-te | 2008-11-17 14:08

<< またろう正念場(たぶん) こじろう理科社会栄枯盛衰 >>