武蔵の「ゆとり教育」
2013年 10月 07日
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似ているのに、というか、似ているから、なのか、どうも麻布の人とは仲良くなれませんでした(^^;; 遊び慣れていて、こなれた感じがなんとなく嫌で(たぶんあちらもこちらが嫌だったのだろうけど)。
それで、意識したわけじゃないけれど、結果として、親しくなった人の多くは武蔵出身でした。
間違いなく一人残らず変人で、自分の興味分野はどこまでも深堀りしてあって、ちょいと水を向ければいくらでも語ってくれます。語り口はスマートなわけではないけれど、対象分野への情熱がこんこんと湧き出てくるような。相対していて決して退屈することがない人たちです。
要領はなんか悪いんです。自分にとって、こうすると得、こうするとうまく渡っていけるみたいなツボを押さえようとせず、それより自分の興味の対象分野への愛のほうが勝ってしまうのかなと。元彼は二浪だったし、「超東大脳の作り方」の伊東さんなんて三浪。でもその回り道すべてが、その人の深みというか味になっているような感じです。
なんであんなおもしろい人ばっかりだったんだろう…という興味で、「中学受験 注目校の素顔 武蔵高等学校中学校」を読みました。って前置き長っ。
そのように私にとってはある意味思い入れの深い学校でしたが、中身についてはほとんど知らなかったので、武蔵が旧制七年生高校としてスタートしたということも今回初めて知りました。昔、「一中(日比谷高校)一高(東大駒場キャンパス)帝大」というのが完璧エリートコースだったのですが、一高の入試が狭き門で、帝大に入るより難しかった…のだそうです。それで、一高受験をスキップできる、帝大へのバイパスコースが七年生高校。
しかも武蔵は、その成り立ちがリッチで、莫大な私財を投じて作られたものですから(そこは麻布と違う)、受験競争に巻き込まれず、設備・教材・教員に恵まれ、大学に直結する教養と学問を生徒たちに授けることができる場となることができたのです。
このように、出発点がそもそも「ゆとり」であったことは非常に興味深いことです。その後、中高一貫校に変わったり、いろいろ時代が移り変わる中ではやはり、大学合格実績が求められる風潮と、武蔵の教育の理想を貫きたいと思う気持ちが、ぶつかり合ったりしていた(している)ようですが。
武蔵の教育は、とにかく「本物」に触れるということ。「山上学校」と「海浜学校」も伝統的に続いていますが、ふだんの授業の中でも、あえて無駄に見えるルートを地道に辿っていくようなことをする。
そうやって「本物」に触れることは何をもたらすのか、ということは必ずしも明らかではないんだけれど、ずーっと種を撒いていく。発芽しない種のほうが多くても、それはそれ。「山上学校」ではたとえば、自然が観察できるとか、足腰が鍛えられるといった、見える成果もあるだろうけれど、それだけが狙いではない。「キミたちは、もっとのんびりしなさい。ぼーっとした時間をつくるようにしなさい。ゲームをやっているのはぼーっとしていることにはなりません。山歩きをしていたら、ときどき頭がからっぽになったでしょう。あの感覚が大事です」(梶取校長)
つまり「余白」。まさに「ゆとり」である。
基礎学力の土台があって、本物に触れる教育があり、それを表現・ディスカッションさせる場があって、それをまったり醸成していくゆとりがある。
「自調自考」は自動的に、あるいは掛け声だけでできるものではなくて、周到に準備された…短期間で考えて作られたものではなくて、伝統の中で空気が育てられてきたことによって実現する場があって、支えられ育てられるものである。
そうやって、ああいうおもしろい人たちが育ったのだな、と思うと、「教育」というものに対する示唆が非常に多く含まれていることが感じられる。
ただ、こういう真のゆとり教育というのは、いい人材(生徒も先生も)が集まっていないと、よい面が十分に出てこないものなので、今の武蔵は昔の武蔵とは違う難しさを抱えているとも言われている。この本を読むと、武蔵も「変わらないために変わりつづけます」ということで、教養・学問のためにも、大学受験のためにも必要な基礎学力の強化を含めて、昔より面倒見よくやってみたりといろいろ試しているようだ。
改革がうまくいって、魅力的な人材を輩出し続けてくれたらいいな…と思っています。
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by an-dan-te | 2013-10-07 13:09 | 中学受験 | Comments(8)
でも途中はなかなかうまくいかないようです。うまくいかない事のひとつに、保護者の要望、というのがあるそうです。そんなことより、こっちに力を入れて!とか、人間関係のトラブルでも、学びの気づきでも、待たずに結果をせかす人が多いそう。
教育で大事なことは、待つこと、と教わりました。種をしっかりまいて、育つのを待つ。お花も、無理に咲かせず、しっかり根を張ってからのほうが、あとあと丈夫に育って、沢山花を咲かせますね。そういう学校があったら、みんなで協力すると良いでしょうね。家でも、待つ、を頑張れると良いんですが^^;
> 全部は難しいようですが、全部やってこそ良い学校になるそうです。
それはそういうものでしょうね。本物を見せるだけしていても、基礎学力なしではスルーッと流れていってしまいます。全部やっていくこと…
> 保護者の要望、というのがあるそうです。
まぁ、スポンサーのご意向というか、それも無視はできませんよね(^^;;
私もたいがい「せっかち」ですからあまり人のことをいえませんが、「待ち」の姿勢なしにうまくいく教育もありませんね。
おぉ、母校でしたか!!
どおりでなんか感覚が合うかなと、あ、別に***さんが変人だといいたいわけでは。げふんげふん。
私はその、「海を見る自由」的な発想ができない人間で、常にせっかちなんですが、だからこそ自分に欠けている部分を持っている人に引き付けられるのでしょう。よしぞうも、武蔵卒ではないですが、たっぷりの余白を味わってきた人だと思います。
あーーそういえば、ぴったりな感じですね~
けど、娘さんだから、入れませんね(-_-;;
そういえば、親が行ってたから行きたい、自分が行ってたから子どもを行かせたいとかのリピーターが多い学校でもあるようですね。
ただ、私の感覚だと麻布の自由は好きにはなれなかったです。学校見学などで感じて、それがなぜかはすぐには分からなかったのですが、今にして思えば麻布の自由はかなりリスキーなものを孕んでいるからなのかもしれません。
自由な学校の特徴として、2大生徒行事である文化祭・体育祭を生徒の自主運営に任せる事があるのですが、なぜか麻布の場合は、それが不祥事によって中止になったり汚されたりする事が多いのが気になります。
確かに若い子たちですから、やんちゃすることはありますが、それが学外の他者まで傷つけ被害を負わせてしまう事件を起こす頻度が、あれほど頭の良い子たちの学校なのに多いような・・・
今年も体育祭が中止になったそうですが、ここまで頻繁にあるのに、学校はある意味それを悪い意味で容認しているではと疑ってしまいます。
(直接関係のない学校に対してネガティブ事を書いてすみません)
ある意味開成も自由なんだと思います。それぞれ「自由」のカラーがぜんぜん違うところがおもしろいですよね。
麻布の校風は好みが分かれると思います。ダークサイド云々って話もありましたが…
リスクのあるところまでやんちゃしたとしても、そこからの指導に自信があるというか、そういう体験を、まだ大人が守れるうちに積ませておきたい? というようなことなんでしょうか。
武蔵生への考察も的確です笑 地頭は良いものの、どこか不器用さが匂う。好きなことにはトコトン入り浸る。
間違いなく、青春時代をこの学校で過ごせたことは正解だったと思いますね。
おぉ、元カノはJG生でしたか(^^;;
かなり学校丸ごと相性がよさそうですね。
武蔵で六年間過ごしたら(それが合ってる子だったら)ほんと財産だなぁと思います。あいにく、うちの男子はそういうキャラでなく(-_-;; 仮に地理的にアリでも入らなかった(入れなかった)と思われますが、個人的には御三家の中でいちばん好き。