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第13首: 逢ふことの絶えてしなくは(反実仮想「まし」)   

逢ふことの絶えてしなくはなかなかに
  人をも身をも恨みざらまし

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「絶えて~なく」は決して、絶~っ対、なければと、強い否定を表します。逢うというのは男女の逢瀬ですが、それがそもそもまったく全然なかったら…

なかったらどうなんです!?

人というのは恋するあの人、身というのは我が身。相手も自分も恨むことがなかっただろうに。

「ざら」は否定の助動詞です。時代劇なんかで「ござらん」とかいってますから否定っぽい感じはなんとなくわかると思いますが、この助動詞、前にも出てきました。第六首の、「知るも知らぬも」の「ぬ」です。

「ざら」と「ぬ」ではまったく顔つきが違いますから、慣れるまではえぇ~っと思いますが、とにかく頻出なので嫌でも慣れますし、意味は紛らわしくないので大丈夫だと思います。いちおう表で書いてみますが、別に丸暗記しなくても、出てきたときに「あーこれね」と思っていればよいです。

未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
○ ず ず ぬ ね ○
ざら ざり ○ ざる ざれ ざれ

「ず・ず・ぬ・ね」って、なんじゃそりゃというへんてこな活用に、「ら・り・り・る・れ・れ」のラ変が並んでいます。こういう、変な活用にラ変がくっついているのってよくありますね。

大事なのは、「ざら」が未然形だってことです。まだ起こっていないこと(未然)、というか、ほんとうと違うことなんですね、この場合。「恨んでない」といったら現実と反するんですが、それで次の「まし」につながるんです。

「まし」というのは助動詞ですが、この意味は「反実仮想」と呼ばれています。現実に反する仮想です。裏を返せば、現実にはものすごーく恨んでいるんですね、あの人も我が身も。

「なかなかに」というのは、「かえって」とか訳すことが多いですが、「どっちつかずで中途半端」という「なかなか」なんです(「ちはやと覚える百人一首」の中にある、かなちゃんの説明より)。

逢いたいのか、逢いたくないのかって、そりゃもちろん、逢いたいんですよ。むちゃくちゃ、逢いたいんです。でも、逢ってしまって、でもそれからずっと逢えない、もうそういうのって、かえってもう、つらい。

[訳読]
逢うことが全くなかったならば、かえって、あなたのことも自分のことも恨まないだろうに。

逢えないつらさがあまり鋭くて、なんとなく不倫を思わせるこの歌ですが、あの有名な歌合せ(「恋すてふ」「忍ぶれど」)のときに詠まれたそうで、リアル恋を詠んだものではないんですね。でも、実生活上も恋の多い人だったとかで、実感はこもってるんです(たぶん)。

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by an-dan-te | 2013-06-08 08:12 | 中学生活 | Comments(2)

Commented by gura at 2013-06-09 23:50 x
全然違うけど、ちょっとわかる。夫が海外出張とか、遠距離とかで、全然会えないとわかっているときは、あんまりさみしくないんです。さみしいのは、そばにいるのに、忙しすぎて、会話の少ないとき。いっそ、単身赴任とかなら、割り切ることができるのに、と思います。

ざらまし、ってこの歌にぴったり。歌を読む人は、響きも十分考えて作ったんだと思いますが、昔は言葉の響きと気持ちが今よりもっとぴったりだったのかな。
Commented by an-dan-te at 2013-06-11 20:53
guraさん、
「ざらまし」ですか、そこツボ!? なるほどね~guraさんは「音から」派だから。この歌全体、「あふことのたえてしなくはなかなかに…」音にはひっかかりがなくて、軽やか。そこへ強い響きは「ざ」の一点ですものね。

「恨ま『ない』だろうに」と、ここだけひっかかるようにできているのね。

> そばにいるのに、忙しすぎて、会話の少ないとき。
それはそうですね~

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