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学校の宿題   

中学受験生活の間、塾の宿題と学校の宿題を比べて、心の中のポジション的にいえば…

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学校の宿題はどうでもいいが、塾の宿題はきちんとやってほしい。という、本音がありつつ、

それはぐっと抑えて、
・学校の宿題は、必ずやって、提出する。
・塾の宿題は、できるだけやる。
と子どもには言っている人が多いと思います。

小学校の宿題というのをやらせたくなくなっちゃうのは、小学校の学習と中学受験用の(塾の)学習が激しく乖離しているので、中学受験メインに学習を進めていたら、小学校の宿題にあんまり意味がなくなってしまっているからでしょう。

それでも元来、宿題をやるということは、学校で授業を聞くということに加えて、一人になった後に演習をしてみることによって定着を図るなどの意味があるはずで、学校のカリキュラムの中で、宿題をやるということは不可分なのですね。というか、そのような積極的な意味がなく、ただ親が「宿題を出してください」っていうもんだから、みたいなテキトーな趣旨だったらそりゃ先生がいけないけど(^^;; ちゃんとわけあって出しているものだったら、それを無視するというのは、「私はこの教育課程に沿って学習するつもりがないんです」宣言ともとられかねない。

だから、人として…というか、先生に敬意を払って、とにかく宿題というものをやっていくべし、というふうに子どもには言う。道徳みたいなもの。

私は自分が子どもだったとき、この「道徳」を叩き込まれたことがなくて、小学校のときも宿題はなるべくやらないで済ませていた記憶があります(たとえば、授業で順番に当てられて答え合わせをするなら、その場で当てられるものだけさっと計算するとか)。JGではそもそも「宿題」という体裁で物事が進んでいたことが少ないような気がするのだけれど、提出であればいちおうカタチだけでも出していた…提出でなければ適当にカットしていたと思います。

宿題は、あるいは勉強は、自分のためにするものであって、先生への義理立てのためのものではないと思っていました。だから、自分に必要だとか、やりたいと思えばするし、思わなければやらない。

つまり、わが家にこの道徳を持ち込んだのはよしぞうです。私が、こじろうの塾勉強はチェックしても、学校の宿題は野放しだったのに対して、とにかく学校の宿題はやれということを主張していました(徹底させていたかというとそこまでいってなかったような)。

その後、ようやくはなひめのときになって、はなひめは自分と先生の関係を重視していて、宿題をきちんとやって出したいということを自分の気持ちとして持っていましたから、名実ともにこの道徳が文化としてわが家に根を下ろしたのです。

そして今、はなひめが中学生になって感じるのは、この道徳の実用的な価値です。

受験という枠とモティベーションがひと段落して、子どもは思春期にさしかかって親の言うことはきかなくても、学校がカリキュラムを補完する勉強を宿題という形に噛み砕いて提供してくれれば、着実に学習を進めていくことができるのです。

学校でどんな課題が出ているのか、中身や量や提出日などの具体的なことは知りませんが、親がそういうことを把握していなくても、宿題というものを本人がちゃんとやっていこうとしていれば、学校授業を中心とする学習が立ち上がっていく。

さらに高校生になったら、宿題だからということではなく、違う形で学習できるようになっていく必要があるでしょうけど、そのような自覚的な勉強が始まる前、そして親の声が届かない時期を、宿題という道徳が守ってくれる。

それってすごいことだなと思うのです。(塾の宿題の話に続く)

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by an-dan-te | 2013-04-23 20:52 | 中学受験

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