読書と中学受験
2013年 03月 31日
←どんな本を読もうが勝手だけどねぇ
中学受験をするときに、それは、読書好きなほうがよいだろうと思うけれども、「よく本を読む」ということから受験の国語読解問題の得意に直結するかというとどうもそうとも限らないようで、それではせめて理科や社会の長文問題を読み取るのはどうかというとそれもやっぱり得意な場合とそうでない場合があるような気がする。
もちろん、読書が嫌いなよりはいいはず。元々嫌いで本を自主的に読むことは滅多にないなんて場合、やっぱり読解問題が不得意ってことは、まぁたいがい成り立つ(^^;;
実体験から学ぶという場合もそれこそ、どこに目をつけて自分の中に取り込むかは子どもによって様々であるのと同じように、同じ本を読んでもそこから吸収できるものは子どもにより様々。たとえば仮に、同じだけの本のセットを、見た目は同じように楽しんで読んだとしても、そこからごく自然に語彙を取り込む子もいれば、知らない語はそのまま華麗にスルーしてほとんど語彙が増えない子もいるだろう。
そのことは当たり前というか、しかたないことなのだけれど、もうひとつ気になるのは読書傾向のことである。
我が家の中でいうと、またろうとはなひめは読書好きであり、こじろうはそうではなかった。でも、はなひめの読書好きといっても、その読書傾向は激しく私の子ども時代とは異なる。
私が、物語から知識系(宇宙の話とか)、エッセイまで幅広く好きだったのと違って、はなひめの読書は著しく「物語」に偏っている。しかも、「いま(現代)、ここ(日本)」で書かれたものばかりだ。
物語であっても、翻訳もの…たとえば、赤毛のアン、ドリトル先生、ツバメ号とアマゾン号、ホームズ、ルパンなど…がほとんどないし、説明文的なものや、エッセイ的なものもない。
なんかこれってつまらないことのような気がする。せっかく、本というのは世界に、過去に開いた「窓」であって、「いま、ここ」を軽々と越えられるわけでしょう?
それを楽しまないというのももったいないんじゃないかなぁ?? と思うんだけれど。
でも、読書好きでない子に趣味で本を読むようにさせる、ってのもできないことながら、読書好きの子に、違う傾向の本を進んで読ませるようにする、ってのもできない相談で。親のできることってあんまりない(-_-;; せいぜい、食いつきがよさそうなネタで翻訳ものの物語を図書館から借りてきてそこらに置いてみるとか、小学校の読み聞かせボランティアのときはちょいとハズした傾向のものを読んでみるとか。
先日、「あこ」さんからいただいたコメントにもあったように、読書はしているけれど親が思うものとは違う感じ。
--- あこさんのコメントより:
結構入試問題にとりあげられるような本も読んでいましたが、親が読むと本当に軽い!ように思われるんですよね(まるで携帯小説のよう)。早々に配布された中学の国語の教科書にヘッセ作品が出て来て読んでいてこちらは感動していたですが当の本人はまったく興味持たず。小学校の先生に以前保護者会の時に聞いたことがあったのですが『時代背景が違いすぎるので難しいと思います。』って言われました。う〜ん、私の子供時代は確かに昭和だったけど充分明治の作品を面白くて何とも魅力を感じましたが‥。如何思われますか?
---
私は、残念だなとは思うけれど、なぜだかはわからないしどうすればよいかもわかりません。「時代背景が違う」ってのは、昔も今も同じことなはずで、だから背景が違う本を、どんどん読みたいと思うかどうかが問題、なんだけど。
ただ、中学受験の枠組みがあったことで、切り取りとはいえ様々な素材文に触れることができたから、そういう強制的(?)なものもよかったなと。入試直前になって、「外国もの」「古いもの」は読むスピードが足りず、苦労していたけど、それでようやく少し本腰入れて練習したんだものね。
あるいは、こじろうが中学生になってから、まぁ中学受験のおかげでいちおう読めば読めるようになったことで、自主的な読書も多少出てきたところへ、学校の課題図書でいろいろ読まされたのはよかったと思う。課題図書というか、なんか文庫本や新書がまんま配られて、次のテストはこれも範囲になるよとかそういうもの。これが、私がみてもへぇと思うようなあれこれ、幅広いもので、そうやって自分からは読まないようなものを読んでみるのもいい。
ま、そんなくらいかなぁ…大人がいまからできることって。あこさんがおっしゃっているヘッセ、私は中学時代ずいぶん読んだ。ヘッセのほかに、ドストエフスキーとか、ニーチェまで。その背伸び的チョイスは中二病のなせるわざとはいえ、それをそれなりに楽しめるのは、それまでの読書経験に支えられてのこと。はなひめが、いくら中二病になってもいきなりドストエフスキーにハマるとは思えない。
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by an-dan-te | 2013-03-31 08:14 | 中学受験 | Comments(25)
私の小学生時代の二大愛読書は「源氏物語(与謝野晶子訳)」と「ドリトル先生シリーズ」。どちらも現代日本の作者ではないし、舞台も昔だったり外国だったり。
>せっかく、本というのは世界に、過去に開いた「窓」であって、「いま、ここ」を軽々と越えられるわけでしょう?
私もこれこそが読書の楽しみだと思うのですが。
でも「いま、ここ」を超えたいという願望が現代日本の子供にはあまりない、というのが一番の理由のような気がします。
以前日本に滞在してるインドの男の子が「インドに帰りたくない。日本は楽しいこと(ゲームとか)が沢山あるし、大人に口うるさく叱られることもないし。」と言ってるのを聞いて、まさに子供のためのワンダーランド日本なんだろうね~と思いました。
ただ、外国ものに興味を示さなかった娘が「赤毛のアン」と「三銃士」は自分で購入して読んでいました。きっかけは再放送アニメとNHKで放送してた人形劇(三谷幸喜さんの脚本でかなり現代的にこなれてます)。きっかけは何であれ、少しずつ世界が広がるといいなあと思います。
新しい版が出ているのかもしれませんが、図書館にある「ドリトル先生」など子どものころ楽しんでいた本を開くと、一瞬えっと思うほど活字が小さく細く感じます。いまはわりと明朝でもくっきりはっきりした線の文字が使われていますよね。本文なのにゴチックなんて本もあるし。
今風の書体であれば読むんじゃないかと思っているのですがー。
私の場合小中高と読んだ作品はその大半がミステリと純文学でしてこの傾向
は今でも変わらないのですが、はなひめちゃんの読書傾向、私はなんとなく
わかるんですよ。今の私と似てますからね(笑)。
何かというと文章の読みやすさじゃないかなと思うのですが。
例えば最近読んだミステリだと、ラブケミストリーという作品があるん
ですよ。これ、このミスから出てきた作品であり決して出自はライトノベル
ではないのですが、文章自体はライトノベル系に近い雰囲気があります。
一方のライトノベルですが、例えば少し前に話題になったビブリア古書堂
なんかは、ライトノベルと言う割には文章が結構しっかりしている。
両者に共通なのは、一文一文が短く歯切れの良い文章なんですね。つまり
読みやすい。というか文学界とか読んでいても、村上春樹以降、この手の
読みやすい文章の作品が純文学でも増えているように思います。
もうひとつは公募新人賞というふるいにかけられてしまうために読みやす
さを重視した作品が増えているのかもしれませんが、この手の読みやすい
文章になれると、難しい本は読む気がしなくなっちゃうんですよね・・・。
切り取られた問題文を読んで、続きが気になるからと、その本を買ってくれと頼まれたことが何度かありました。
私自身、現代文の問題集で長編小説の一部を読んで、続きが気になって、買って読み、そこからその作者の本をいろいろ読むようになった経験があります。
(福永武彦や小川国夫や清岡卓行など。問題集で出会わなかったら絶対読まなかった作者の本だと思います)
受験勉強で切り取り素材文を読むのも、悪くないですね。
長男は読書好きでしたが、世界名作全集のようなものは読みませんでしたねえ。歴史小説は好きでしたが…。次男は低学年では読書していましたが、知らない漢字に出合うとスルーできない性分が災いし、一時期ぱったり本を読まなくなりました。高学年になり、漢字力も語彙も広がったところで、受験勉強からの逃避もあって、受験国語の素材文や塾の先生が面白おかしく紹介してくれた本をよく読むようになりました。あの時は受験勉強ってありがたい…と思ったものです。
理系に強い男子校ということで、おそらく敢えてそうされているのだと思いますが、中学の国語の授業がかなり物語文に偏っていて次男は辟易しています。しかも、カフカや安部公房など、次男に言わせれば「訳分からない系」で(笑)強制されなければ読まないものは、学校で強制してもらうしか手はないですかね。
親が子供のころ感銘を受けたり、好きだった本は、そう紹介すると興味をもってくれます。でも紹介するときは、年齢とかきっかけとか、考えてしまう。
昔、小川研究をしている人が知人で、ご本人相手に論を展開されるのを聞いたことがあります。貴重な機会でしたが、勉強不足でもったいないことをしました。読書もっと頑張っておけばよかったです。
読書好きのおかげで、著名な作家さんにお会いできることが時々あります。人づてとかで。私は完全に素人なので、変なこと言ってしまったらどうしようかと思うのですが、皆さん優しく感想をきいてくださいます。実際お会いできると、本への興味も高まるのでおすすめです。よく探せば、読書会、サイン会、記念講演など、お会いできたり、直接お話できるきっかけがあります。
外国、昔の方、は無理だけど、子孫の方に会えると感動します。
学校の読書活動は様々で興味深いですね^^
で、今で言うところのラノベ系、コバルト文庫とかばっかり読んでまして。新井素子、氷室冴子、赤川次郎とかですね。
もうちょっと大人になっても、それこそ「国語入試問題必勝法」みたいなもの。
子どもたちは、ま、今どきの「魔法使いナントカ」みたいな本が多いですが、マジックツリーハウスとかハリーポッターとかも読んでるからいいかな、なんて思っています。
うちは、家族みんな読書家で、そうでもない私はちょっときつかったです。夏目漱石、芥川、太宰、三島などをへて、トルストイとかドストエフスキーとかいろいろ読みました。姉も読んでいたので、次はこれでしょという感じで、おもしろい、おもしろくない関係なく、当然読むものとして読みました。
この経験があって、いまでもいわゆる純文学は好きで、最近の小説はなんとなく最後まで読めません。よむときっと面白いと思うんですが。
娘もはなひめちゃんと同じで、好きなジャンル以外はなかなか手を出しません。だから、六年生の今でも、無理やり、芥川とか太宰とか読み聞かせしてます。そうしたら、結構好きになってきました。
ハリーポッター、確かにとても面白いですが、あの翻訳はないなぁと思っているのは私だけ?
ドリトル先生は読みまくりましたよ~
与謝野晶子源氏は読んだけれどもっとずっと後(たぶん高校生?)。
> でも「いま、ここ」を超えたいという願望が現代日本の子供には
> あまりない、というのが一番の理由のような気がします。
うーん。そういうことになると、本を読まないだけではなくて、いろんなことの意欲とか、全般に変わってくるということに(まぁ、現実そうなっていますね)。
> 自分と同じ年代の日本人の女の子が出てきてクラスメートやらと
> ゴタゴタする話なんて、生々しくて読みたくなかったです。
あ(^^;; そうかも。
きっかけはなんでもいいんですけど…幅が広がるとおもしろいよ、と伝えてあげたいですね。
書体ですか。そういえば、またろうがいっていたのですが、母が貸した「十五少年漂流記」はつまらないと思い読みきれなかった、でも青い鳥文庫に入っていたのを読んだらおもしろく読めたといっていました。母が貸したのは私が昔読んだものです(^^;; 今風に作り直せば読むということもあるかもしれませんね。
そうですね、内容かなり込み入ってると思うのですが、ビブリアならおもしろく読んでいたんですよね。文章の読みやすさ…!?
> この手の読みやすい文章になれると、難しい
> 本は読む気がしなくなっちゃうんですよね・・・。
私も大人になったらニーチェとか読まなくなったんですけど(笑) まぁ中二病じゃなくなったからというのが大きいですが、めんどくさいことはしないってのもあるな(^^;;
素材文の続きを読みたくなるというのは、いいきっかけですよね。
切り取られた素材文自体は短くてすぐ読めるけど、一癖あるとかなにか「濃い」ところがあるから選ばれているはずで、それが心にヒットすれば、そりゃ続きが気になりますよね。問題も、読むヒントになったりしますし。
そういう意味でも、良問にどんどん触れさせたいですよね。悪問対策してる場合じゃない(笑)
そりゃねぇ~。私が子どものころ、読書よりおもしろいものなんてそうはないと思ってたし。今は「読書」の「競争相手」がたくさんいるのよね。
> 知らない漢字に出合うとスルーできない性分が災いし、
スルー力が高すぎるのも低すぎるのも問題ね(^^;;
> あの時は受験勉強ってありがたい…と思ったものです。
そうそう。うちも、いろいろと、いろいろと感謝してます。
物語文強化してくれるのね、学校が(^^)
こじろうの学校で読まされるものが、なかなか幅広くて意表を突いた(それでいて納得できる)チョイスなので良いなぁと思ってます。ほんとにこじろうの足りないところをあれこれ補ってくれたと思うんだけど(本人はそう思ってないかもしれないけど)、それって、国語入試問題に合う学校だから合うのか!?(謎)
私が小さいころ愛読してた本だからってのでは、なかなか興味もってもらえないみたいなんですが(きりがないし)、兄が好きだった本とかだと食いつきがいいみたいです。というか最近は家中にまたろう兄の買ったラノベが満ち満ちているのでその影響がでかすぎます(-_-;;
> 読書好きのおかげで、著名な作家さんにお会いできることが時々あります。
え(o_o) どんだけ読書好きなんですか…
またろうは、市でやってた「ルドルフとイッパイアッテナ」の斉藤洋さん講演に申し込んでいって、感激して帰ってきましたよ。「ルドルフ」が本好きへの扉を開けてくれた本なので。
好きになれば読むだろうし、好きにならなければ読まない…娯楽なので本人次第。親のできることはどうあっても間接的ですね(^^;;
コバルト文庫ですか!! 私は読んでいないのですが、氷室冴子とかは、よしぞうが読んでましたねずいぶん。だから世代の違いではなくて好みの違いですね。読書に関してはyoyoさんの影響が大きいかったです。
ハリポタは間口が広く、長さもあり、シリーズが進むと話も込み入ってくるので、なにか読書に勢いをつける働きをすることがよくあるみたいですね。うちの子たちはあんまりヒットしなくて(またろうだけかな、全部読んだのは)。
> おもしろい、おもしろくない関係なく、当然読むものとして読みました。
えーっ(o_o;; そんなことが。
子どもが本を読まないといって嘆いている親に、「どうすればそんなことが!!」ってすごい関心持たれそう(^^;;
芥川や太宰も読み聞かせするんですね~
六年生でも、やっぱり読み聞かせしてもらうと楽しいらしいですが、こちらの根気が続かなくてどうも。
小学校の読み聞かせに行ったときは、はりきって、みんなが読んでなさそうなものを紹介しました。芥川の短編だったこともあるし、科学ものとか、古典とか。
なんでこの本書いたのか聞くの楽しいんですよ!
またろう君のきもちわかる!!どうだったか感想聞かせて欲しいな。私には人生の一冊と言える本があるのですが、作者はすでに故人です。子孫の方にあってお話を聞いたときは嬉しかったなあ。
かたや、現在低学年の弟は。暇があれば本ばっか読んでます。学校でも学童でも。ついに、娘の本棚にならぶ重松に手を出し始めました。本で人間関係学ぶ前に、もっと友達と外遊びすれば?誰かと遊ぶ約束してくれば?と、ツッコミ入れたくなります。
親って、結局、無い物ねだりしちゃうもんなんですかね…。
私は小中学生んとき、海外文学好きでした。嗜好がグローバルだったというより、当時、今の重松的な、身近で優れた作品に触れる機会がなかっただけかも。
今の子らが、洋楽にあまり興味ないのも、いわゆるJポップの質が高いからなのかな。でも、かっこ良さげだからとかでも何でも、ワープできる世界は広げて欲しいです。
そりゃまた健全な小学生生活で。本は読まなくても文句のつけどころがないですね。そして今度は低学年から重松(^^;;
同じ親から生まれてもなぜこんなに違うか??
確かにいつでも無い物ねだりしたくなるのが親ってもんですかね…でもお二人とも、いいもの持ってらっしゃいますね(^^)
> 今の重松的な、身近で優れた作品に触れる機会がなかっただけかも。
そうですね~よくわからないけど、今ほど、日本国内で書かれた子どもが読めるおもしろい小説というものはたくさんなかったかも。それでドリトル先生やツバメ号とアマゾン号や…と読んでるうちに洋モノ路線でヘッセやドストエフスキーにいっちゃうのか(!?)
今は もっと読みやすく書かれた 面白い本が多いですから、ハードルが高いのかも しれませんね~。
ドストエフスキーは 神がいなければ 文明も 道徳もないということを 延々と書いていましたけれど、あれにはまったのは JGの宗教教育に対する 反発じゃないかしら?
やっぱり 本って 自分の生活となんらかの接点がなければ 読まないと思うんですよ。
だから 子供に奨めるのなら なるべく 身近なテーマのもののほうがいいですよね。
めるは 柳美里の「ゴールドラッシュ」 三島由紀夫の「金閣寺」カフカの「変身」などを 私の蔵書から読んでます。
とらは 今 井上靖の「夏草冬濤」「北の海」に はまっているし、ヘッセも 学校で 一部分を読んだ限りでは おもしろかったと言っていました。
たぶん ゲームのない時代に生まれていたら 二人とも本好きだったと思うけれど。それは ちょっと残念です。
まーたしかにそうかもね。
> ドリトル先生は大人の世界から はじかれた人。
はは(^^;;
別にドストエフスキーを読まなくたっていいんだけれど。読みたいもの、読む必要があるものがあるときは、とっつき悪くてもちゃんと読み通せるようにはなってほしいですよね。
めるちゃん、とらくんはずいぶん読めるほうですね(今の子としては)。うちはラノベ汚染度がすごくて(^^;; ほかのものにはなかなかいきません。