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自立の育つスキマを意識する   

昨日書いたような意味で、塾の先生から「健全性」を心配されるような事態は、こじろうのときもはなひめのときもなかったと思うけれど…

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まずいやり方だった、と反省している部分はあります。つまり、中学受験を成功させるという意味では特に問題なかったけれど、その後の自立を育てるという部分では問題ありだったということです。

問題ありだったと思うのは、主にこじろうのときの受験です。手を出した量、親子の密着度でいえばはるかにはなひめのときのほうが上なんですが、そういうことでは決まらないんです。

こじろうの受験のときは、たっぷり寝てましたし、十二分にゲームやってましたし(-_-;; 余裕はたっぷりあったのではと思ってましたが、気持ちの上でのゆとりというのは、何分ゲームができたかで決まるものではありません。勉強をどれだけ、どういうふうにやるという決め方の、方向性というか。

こじろうの勉強は、「ちゃちゃっと『栄冠への道』やっておしまい」というのが習慣のベースになっていて、それにプラスして、漢字語句ノートをやろう、だとか、再チャノート(間違えた問題の再チャレンジノート)をやろう、とか、親が必要性を思いついたものをそこにプラスしていく交渉が行われる…こじろう本人が必要性を実感するかどうかは関係なく。

ただ分量で、かけひき(笑)が行われ、「多いよ」「多くないよ」、綱引きの結果、じゃあ今日はこれとこれね。そして、残り時間はゲーム(^^;;
(ゲームというものは、時間がどれだけあってもそれを無言で吸い込んでしまうというか、ゆとり時間をゆとりや充実として実感しにくいのも問題のようである)

結果として勉強時間が、六年生としてどうよ、という少なさであったとしても、親が押し付ける、子どもが抵抗する、その構図が定着しているところが問題。

こんな生活でも、「こつこつ積み重ねたことの価値」を体験するとか、「定着する勉強の仕方」を体験するとか、そういうプラス面はあった。それは、その後の中学校生活、さらには現在の高校生活に生きているとは思うけれど、中学生になりたてのこじろうは、決して勉学意欲旺盛な子ではなかった(注: ひかえめな表現です)。

その後、なんだかんだあって中学三年生くらいではいろんなことがうまく噛み合うようになったと思うけれど、それは母の功績ではもちろんなくて、本人が環境に馴染んで、部活やら、仲間やら、そういったいろいろな支えがあった成果だ。

はなひめの受験のとき、こじろうよりずっと関わっていたけれど、その中で頭の隅に置いていたのは、「自立のためのスキマ」。はなひめが自分で工夫したり、もうちょっとがんばったり、そういうことができる「スキマ」というのは、体力・気力的なゆとりでもあり、時間的なゆとりでもあり、自分の中から出てくる意欲が活躍することができる空間のこと。なかなか難しいのだけれど、二度目だからわりと「まあいいやそれでも」的な諦念がどこかにあることがやや幸いした(笑)

あと、はなひめの側に、中学受験の意思と第一志望校に向かう意思がはっきりしていて、そして、過去問をやった様子が、あんまり万全でなくいろいろと課題山積だったことがよかったと思う。

特に、うまくいきそうな手ごたえが感じられるようになったのは六年後半。詳しくは、過去記事「自立の育つスキマ」をご覧ください。

六年秋ごろのはなひめは、疲れている様子もなく、緊張はしていないけれど、ゆるすぎる感じではなくて、ごく自然に受験に向かってほんの少しずつ集中していくような。面談のときに室長先生にも、「ちょうどいい感じ」と言われて、なんかうまくいきそうな気がした(そのわりに、最終回の模試では大コケしたけどね…)。

その流れが、本命入試のときの、「ほんとうの本気集中」につながったと思う。中学生になってどうなるかはまだこれからだけど。

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by an-dan-te | 2013-03-02 07:39 | 中学受験

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