人気ブログランキング |

内申というもの。   

昨日の記事で、「高校受験に比べれば」ということを書きましたが、高校受験だと余計疲れるという要因、そのある大きな一部を占めているのが「内申」です。

  にほんブログ村 受験ブログ 中学受験へ←人が人を「評価」するって難しい

お住まいの地域によって事情はいろいろだと思いますが、東京都の場合、まず、主要な進学先である都立高校の入試では内申が重要です。またろうは第一志望が国立でしたが、やっぱり内申が加味されます。私立難関校であれば内申は関係ありませんが、私立でも、あらかじめ押さえておく併願などの状況ではやはり内申が重要になります。

入試が、「学力一発勝負」的なものだけで決まらず、ほかの観点を入れるということ自体は、ぶっちゃけまたろうにとっちゃ不利だった(^^;; ということはさておき、趣旨としては理解できます。高校生活を無事に送るためには、学力の高低だけが問題になるわけではなくて、まじめに授業や課題に取り組むことや、周囲と協調していくことなど、いろんな資質が関わってくると思いますから。

だから、内申の場合は、「数学」の評点といってもそれは、数学の学力のみを測っているわけではありません。またろうは数学がいくら得意でも、なかなか内申で5を取ることはできませんでしたが、それは
・定期テストはやさしい問題しか出ないので、ポカミスは命取り。
・定期テストでは、先生の指示どおりの用語や解き方を使う必要があり、そこをきちっと詰めるのが苦手で、ついでに漢字もあやふやなまたろうには、なかなかいい点が取れない。
・ノート提出ができないのは論外(-_-;;
というような事情からです。

授業をきっちり聞き(聞くだけでなく積極的に参加し)、ノートをきれいに取り、期日どおり提出し、定期テストでもよい点数を取る。そういう方向の努力をすることが必要です。でも、そういうスキルも人生のいろいろな場面で役に立つから、まぁ努力したっていいんじゃないか、そういう考え方はあると思います。

先生が生徒を評価することの意味は、入試に使われる指標になるということを除けば、正しい(先生が意図する教育の方向に沿っている)努力を示すということです。評価を上げる努力をすることが、教育目標に近づく、これについて透明性があって公平性があるというのが、よい評価の条件といえます。

昔は、透明性についても公平性についてもほとんど問われなかったものですが(私が中学生のころ)、今は説明責任があることが前提のようで、観点別に何を評価するかなどは明確化されているようです。ただ、教育的意図があって先生自身が自分のやることに自信を持っていれば、評価の観点や基準を当然生徒にもクリアに説明してしかるべきだと思いますが、そういう先生はあまり多くありません。

どういう評価がされてこうなったか、上げるには何を努力したらいいかを(クレームということではなく)、教えてもらいにいっても、拒否する先生がかなりいます。何のための評価なんでしょうね??

またろうのときの内申も、謎が多かったですけど、なにしろまたろうに隙がありすぎますから(-_-;; 先生のせいばかりじゃないと思います。ただ、もっと非の打ち所のない子でも、不可解な点数がつくことがありますし、どこまでいってもそんなに透明な世界ではありません。

実技教科になると不透明度はハンパなく、たとえば、音大に行くため本格的な勉強をしている子、全国大会クラスのスポーツ選手など、あきらかにうまい子に5をつけるのか、才能はなくてもその年のがんばりが大きかった子に5をつけるのかなどの考え方の違いが出てきます。要するに、ペーパーテストの割合が低い分、実技の評価が重要になりますが、実技の何をもってAとするかは、その先生のセンスなのです。絵とかになると、見る人が見ればものすごくうまい…でもその先生の好みではない、ということで低い点をつけられればそれでおしまいです。

そのように、同じ学校の中で、生徒たちにどういう順番をつけて評価するかについてもなかなか難しい問題がてんこもりなのですが、複数の考え方がある中で、あるひとつの「公平さ」に過ぎないとしても、少なくとも昔よりはかなり誠実に評価がなされていたような気はします。少なくとも、そのような(先生側の)努力が是とされていたという感触はあります。

しかしここでさらに、学校間の格差という問題があります。(長すぎるので、つづく)

にほんブログ村 中学受験 ←ランキング参加しています。
にほんブログ村 中学受験(日能研) ←こちらも参加しています。

by an-dan-te | 2012-10-11 13:03

<< 内申の学校間格差 疲れない中学受験の条件 >>