神童も、二十歳過ぎれば…   

高度経済成長期にあっては、教育においても、当然「早い」ことがいいことだという価値観は受け入れられやすかったのだろうか?

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1967年のフジテレビ、「万国びっくりショー」という番組に、まさしく「神童」が登場した。「キム・ウンヨン」という韓国の男の子で、なんとそのときは四歳。東大生二人があーでもないこーでもないとのろのろようやく解いた積分を、黒板に向かってさらさらと鮮やかに解いて見せた。

なんでも、一歳ですでに難しい漢字もすらすらと読み、三歳では本を出しという調子で、およそ人間離れした「早さ」だ。父親は大学教授だそうで、もちろん教育熱心でもあったのだろうけれども、ちょっと考えてみてほしい、どんなにしゃかりきに詰め込もうとしたってそんな教育はとてつもない「素材」がなくては実現不可能。

人間の生物的な限界というものがどこかにあるはずだと思うが、いくらなんでもこんなに「早く」できるものだろうか?? 私が読んだのは「韓国天才少年の数奇な半生(大橋義輝著)」という本なのだが、ここに積分を解くウンヨンの写真が載っている。黒板に書いている字も非常にしっかりして勢いがあり、仮にこの問題ひとつに絞って(意味もわからないまま)解き方を暗記させて再現させるにしても無理ムリ、四歳児には到底無理と思ってしまう。

この、ありえないくらいの「早さ」にはどんな価値があるのだろうか。もちろん、テレビに出て多くの人々の驚愕を引き出し、娯楽を提供するという価値はあるんだけど、そうじゃなくて、その人自身にとっての価値。

父親は物理学者だそうで、彼はこの神童にどんどん勉強をさせ、立派な物理学者にしようと思ったらしい。しかし物理学者として優れているという資質の中で、四歳で積分ができることは必須でない(アインシュタインだってできなかっただろう)。神童であることは、物理学者への道にストレートにつながるものなのだろうか。

実際、キラ星のごとく登場したキム・ウンヨンだけれども、そのうちテレビなどから姿を消し、思い出した人がその父母に取材にいっても、重く口をつぐんでいるだけ。歯車が順調に動いているのではなさそうだけれども、どうなってしまったのかがまったくわからないという状態が続いた。

この本に書かれている範囲で、この「トンネルの時代」についてわかることは、
・いったん、アメリカの大学に留学したが、何年かして戻ってきた
・「ふつうの」大学入学年齢に達したとき、韓国の大学に合格はしたが下位合格だった
など。

キム・ウンヨンはIQの高さでギネスにも載ったそうだが、IQというのは定義からいって、要するに「早い」ことを評価するものである。二歳で、四歳児のわかることがわかったらすごい。三歳で、六歳児のわかることがわかったらすごい。四歳児が、積分をすらすら解いたら…そりゃIQが測定不能になるくらいすごい。

すごいことはすごいのだが、じゃあそれはいったい何なのか。「早い」ことはいずれそれだけでは意味をなさなくなる。だって、二十歳なのに四十歳並み(←なにが??)だったらすごい?? 五十歳なのに百歳並みだったら??(^^;;

この本に書かれていることがどのくらい真実のニュアンスに沿っているのかわからないが、少なくとも、単に「早い」ことから、「優れた物理学者になる」ことを親が強烈に期待していたとしたら、それはそんなにうまくいかないだろうことは容易に想像できる。早いことと学者として優れていることはイコールではないし、ましてや何で物理学限定!?

まぁ、親の過大な期待でつぶれた「元神童」はたくさんいるんだと思うけど、このまま消息不明だったら、キム・ウンヨンもその一人かと思われておしまいだっただろう。しかし、この本では、「なんでも報道しっぱなし」のマスコミのあり方というものを反省して、全力でキム・ウンヨンの「その後」を追いかけたのだ。執念が実って、少しだけれども生のコメントを取ることができて、その一点でこの本が成り立っている。

結果として、キム・ウンヨンは「世界の頭脳100人」に選ばれるくらいの、優れた学者になっていた。しかし、父親の期待とは違う、土木という分野で。その、世界に知られていなかった三十年くらいにどんな葛藤があったのか知るよしもないけれど、父も母もキム・ウンヨンもいろいろ思うところがあっただろう…ともかく、現在では(アラフィフだ)、自分の分野できちんと名を成し、家庭を持ち、自分の幸せを大切に過ごしている一人の人間という雰囲気だ。

かつてウンヨンの父はこう強調していた。「ウンヨンは天才だから普通の幸せを望んではいけない。かわいそうだけどしかたがない。天才は天才の道をいくしかない」。
そして今回、この本にあるインタビューのとき、著者が、「天才として数奇な人生を送るよりも、普通の幸せを見つけてよかったですね」というとウンヨンは「コマスミダ(ありがとう)」を繰り返したそうだ。

たぶん、途中はたいへんだったんだろうけど(*)、いちおうハッピーエンディング?? でもね…要するに、どんな神童だって、どんなIQを持ってたって、大人になったらその「早さ」が人々の感動を生むわけじゃない。ノーベル賞を取ったって、「びっくりショー」的ではない。だって、いくら優秀でもひとりの、人間だもの。そこに到達するのに、一歳で漢字すらすら、四歳で積分が必要だったかっていうと…どうなんでしょうね。それだけ優れた器があったら、別にびっくり人間にならなくても、同年齢の子どもと遊ぶような楽な道を通って、ちゃんと自分のすばらしい研究ができたかもしれないよね。

ま、二つの人生を試すわけにはいかないけれども。

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(*)ウンヨンは「子どものとき」NASAの特別研究員もやってたのだけど、それをやめて帰国した理由としては「同じ年頃の友達もいないし、同僚もいない。そんな状況の中で、NASAの課題を遂行するような人生に退屈して帰ってきた」といっている。
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by an-dan-te | 2012-01-30 13:16 | 中学受験

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