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我が家流「地頭」の考え方   

受験でいう「地頭」というのが何を指しているのか、人により多少違うものをいっているような気はするけれど…

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非常に大雑把にいって、
同じ時期に同じ塾に入って同じカリキュラム同じ教材同じ先生で教わって、同じ量の宿題をこなしたとしても
違う成績になる。それも、かなり大幅に。

この違いが何から来たかっていうあたりを、漠然と「地頭」と呼んでおくことにします。

「地頭」って呼んでも呼ばなくてもいいんですが、この「すでに持っているものが違う」ということをよく了承しておくことがとても大事です。努力至上主義に陥るととかく危険ですから。つまり、思うように成績が伸びないとき、それを短絡的に努力が足りないせいだと思ったら、つらいし、それを解消しようとしたら無理をするわけでしょ? 第一、事実に反しますしね。

goo辞書で「地頭」を引くと、語義は「大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。「―がいい」「―を鍛える」」となっていますが(注: もうひとつの語義は「かつらなどをかぶらない、そのままの髪の頭。地髪(じがみ)。」)、なんか曖昧だと思いませんか。「本来」といっても、論理的思考力やコミュニケーション能力は、後天的に培われる面がけっこうあるはずです。

だから必ずしも生まれつき持っているものに限っているわけではないようですが、それでも「知識」のような、現状のある/ないとか、完成度の問題ではなくて、論理的思考力やコミュニケーション能力のような、これからの活動の発展性に目を向けた言葉だということはできると思います。

つまり、中学受験でいう「地頭」は、前述の「同じ時期に同じ塾に入って同じカリキュラム同じ教材同じ先生で教わって、同じ量の宿題をこなした」ときにそれをどのくらいモノにできるかという能力を指しているというふうに捉えればそんなにずれてはいないでしょう。

さきほど努力至上主義が危険だと書きましたが、逆に地頭至上主義の危険性はといえば、「あきらめ」「努力の放棄」につながることでしょうか。しかしもちろん、仮に地頭が同じ程度だったとしても、その後の努力でまったく違った結果にはなるんですから、あきらめるのは損です。

身近な例として、私の家族ひとりひとりを考えてみますと、地頭のできはそれぞれ大きく違います。どれほど違うかというと、たとえば…
漢字を覚えるなら(小五時点)
こじろうは、母が語義を説明し、同じ漢字を使った別の言葉をジェスチャー入りで紹介し、Excelで管理して忘却曲線に対抗する反復を本気で繰り返してようやく覚える。
はなひめは、本人任せでさらっと書き取り、できないところにチェックして後日もう一度、おしまい。

算数のカリテ対策(小五時点)
こじろうは、本人任せで栄冠への道、以上。
はなひめは、計算と一行題、その再チャ、栄冠への道(母付き添いの元)、そして一部分はオプ活、ベストチェックなど併用。

という具合で、それでもってその成績はかけた労力の逆順。ってなもんです。

ベース(学習する能力)が違うんです。それは厳然たる事実です。同じ成績取らせようって、それは無理です。そこをわきまえておく、それを利用し、得意なところをさらに伸ばし、できないところはそれなりに。

でもそれは、人ひとりの地頭が、「できる---できない」の一直線上に乗っているというイメージではなくて、地頭の…ベース部分の、でこぼこです。地頭という言葉だと、つい、よい悪いというふうに捉えてしまいがちなので、私としては、「脳みそのかたち」という言葉のほうが好きです。

我が家はおそらく特に極端に、この「脳みそのかたち」が違う人たちが集っている家族です。そこで、こじろうとは違う、はなひめの「脳みそのかたち」に新鮮な感動を覚えながら、そのかたちと付き合う。うまく、付き合っていく、というのが、我が家流「地頭」の考え方です。

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by an-dan-te | 2011-10-02 08:59 | 中学受験

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