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第12首: 恋すてふわが名はまだき(副詞、過去「き」)   

恋すてふわが名はまだき立ちにけり
  人知れずこそ思ひそめしか

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第十首として「忍ぶれど色に出にけり」をご紹介しましたが、歌合わせでこれに負けたのが「恋すてふ」。負けた忠見は落胆して食欲がなくなりついには死んでしまったといういわくつき。いつの時代も、採点競技ってのはその評価が禍根を残すのね。

これも、たいへん優れた歌だと思います。使われている技法は「倒置法」くらい(「~けり」で切れてる)で、シンプルにしみる感じです。

古文学習上のポイントは、「現代語から類推・想像しにくいところ」と考えると、この歌では「まだき」それと「こそ~しか」ですね。

現代語に「まだ」という副詞があるのでつい引きずられてしまいますが、この「まだき」は同じく副詞だけれども意味は真逆というか「早くも」「もう」ということ。なんでこうなった??(^^;;

副詞の意味って、使われすぎて擦り切れるとなんだかずれていくらしいです。つまり、古文と現代文で意味が違う言葉というのは、よく使われている重要単語でもあるし、テストで問題に出しごろでもあるわけですね。

「恋すてふ」の「てふ」も現代語と違いますけど、意味は想像どおりで「という」ということです。「といふ」が変化した連語で、まぁそういうものだといっぺん思っておけばそれで済みます。

「立ちにけり」の「に」はもうめちゃくちゃ頻出で、この歌が負けた「忍ぶれど」にも「出にけり」となってましたね。完了の助動詞「ぬ」の連用形が「に」という没個性的な形になるのでとにかくこれは「にけり」で目に焼き付けておいてくださいね(^^)

「人知れずこそ」は地味にポイントかもしれません。「知る」という動詞がありますが、これは「知ら・ず、知り・たり…」と活用する四段動詞。「知らず」でなく「知れず」となっているので別の動詞…「知れ・ず、知れ・たり、知る、知るる・とき、知るれ・ども、知れよ」下二段活用の動詞です。現代語でいえば「知られる」という意味。

「こそ」と来たら係り結び、「ぞ・なむ・や・か」は連体形で結ぶのに、「こそ」だけは已然形で結ぶ変わり者。已然形になると「お??」という形になる言葉が多いため、これは知らないとわけわかんなくなります。過去の助動詞「き」も、已然形は「しか」という似ても似つかぬ顔をしています。それだけに、「ぞ」とかよりはすごくしっかり「強意」という感じがしますね。

思い初める、つまり、人に知られないように始めた恋だというのになんで知られてしまったのか。という歌です。

[訳読] 恋をするという私の噂は早くも立ってしまった。人に知られないように思い始めたというのに。

百人一首シリーズ、目次

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by an-dan-te | 2013-06-02 09:59 | 中学生活 | Comments(1)

はじめての定期テスト、親のできること   

…というお題をショコラさんからいただきましたが、はてさて。

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元々、定期テストの結果とかに神経質になる必要がないってのも、私学に行かせたい理由のひとつだったわけで。またろう(公立中から高校受験)のときは大変でしたよ~。本人がまったりしてて、試験時間割も範囲も把握しておらず、必要なプリントも散逸している中で、テストの結果は気にしなきゃいけないっていうんだからね。これは、非常に(親の)健康に悪い。

中学の間の、こじろうの定期テスト、はなひめの定期テスト、この結果はまぁ、どうであっても別段痛くもかゆくもないので…そりゃもちろん、放校されるほどひどかったら困りますけど、そうであればそもそも別の問題が根深くあるのであって、結果(点数)で一喜一憂とかそういう話ではありません。

そもそも定期テストというのは実力テストではありません。範囲のあるテストで、学校の授業と連携した形で実施されます。

これは、何かに似ていますね…日能研でいえば、カリテ(カリキュラムテスト。範囲のある復習テスト)と公開模試があったうちの、カリテに当たるものです。

カリテは、実力を見るものではなくて、学習サイクルがうまくいっているかを見るものでした。結果も、席順の並べ替えには使われていましたが、クラス昇降の決め手には使われていませんでしたし、受験ラインナップを決める合格確率の推定のときも無関係。

日能研中学に行くのではないから、カリテ(内申点?)が結果として高くなきゃいけないってことはないんです。ただ、カリテの点数を目安にして、身につく授業の受け方を探ったり、自分に合った復習の仕方、暗記方法について考えることは非常に意味のあることですし、あるいは、カリテの結果を見て、よくわかっていなかったところがあぶりだされていれば、そこを穴埋めするとか、そういうのは有意義ですね。

…ま、そういうことじゃないかと思うんです。

子ども自身が、定期テストを上手に利用しながら、効率よく学習する方法を考えられるかどうか。

これって、けっこう高度なことです。少なくとも、塾がかり親がかりで中学受験を乗り切ってきたこじろう・はなひめあたりには相当ギャップのあることです。だから、全面的に手を離して、いきなりこれができるなんて期待はもとよりしてませんが、だんだんスキルアップできるように。手や口を少し出したり、出さなかったり(^^;; いろいろしながら、徐々に自立走行してほしいです。まだ時間はたっぷりありますし、はなひめの学校はたいへん面倒見がよいので、親はちょっと遠巻きにして見守るくらいでよさそうです。

入試で選抜されて一定以上のポテンシャルを持っているはずの子どもが、私立中高一貫校で深海に潜っていくときというのは、単に定期テストで低得点を取ったときではなくて、その教科が、あるいは勉強が、学校が、さらには自分が、嫌になっちゃうような閉塞感を持った場合だと思います。授業や学習にある程度の意欲と興味を持って取り組んでいて、努力をやめていないならば、ちゃんとその先があります。やり方が下手なときは結果につながらないでしょうけど、意欲があって下手なだけなら、大人も方向修正を適宜助けることができます。

だから、まずい結果が出たときには、次にどうすればいいか、努力の方向が本人にわかるように手助けすることは役に立つかもしれません。あるいは、あまりにも本人が成績どうでもよくて、よくなる方向に労力を払うつもりがない場合には、根本的につっこんだ話し合いや対策が必要かもしれません。その他のことはあまり気にせずおおらかに…せっかく、私立に入ったんだからね。きりきりしてちゃ、もったいない。

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by an-dan-te | 2013-05-31 15:43 | 中学受験 | Comments(14)

現代語文法学習が難しいのは当たり前(文節)   

中一で、国文法が難しい、特に文節に分けるのがうまくできないというコメントをいただきました。

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これはね、なんか難しい、すっきりしないって思うのは当たり前なんですよ。

中学で使う文法の問題集とかを見ると、最初のページが「文節」の話になってます。
私の手元にある「標準問題集 中学国文法」(受験研究社)という本だと
----
「発音や意味の上から、それ以上区切ると不自然になる文の一区切り。文節の切れ目には「ね」「よ」「さ」をつけることができる。
----
と説明されています。不自然とか自然ってそもそもいったい何よ、というか定義のしようもないですね。

「杜子春は(ね)/驚いて(ね)/伏せて(ね)/いた(ね)/眼を(ね)/挙げました。」

この区切り方のどこが自然なのよ、とグレたくもなるじゃありませんか。

だいたい、「伏せて(ね)/いた(ね)」より、これを一区切りでとって「伏せていた(ね)」のほうがまだ許せる気がするし…ここで切るって誰が決めたの。

例えば:
「あんなことを言っているうちに、友人の信頼をなくしてしまうだろう。」
を文節で切ってください、と言われたら、どうするか。迷うところは
「あんな(ね)/ことを(ね)」なのか「あんなことを(ね)」なのか、
「なくしてしまうだろう」はどこか切れるのか切れないのか、
といったあたりではないでしょうか。

これは、どこか「ね」をいれて「自然」なところってある?? などと悩んでも解決しません。

一歩進んで、「自立語が文節の頭になる」ということを知っておかないと解けないんです。
自立語は、名詞・代名詞・動詞・形容詞・形容動詞・連体詞・副詞・接続詞・感動詞。
それ以外のことを付属語といいますが、助動詞と助詞の二つだけです。

要するに、助詞でも助動詞でもないものが来たらそこでは文節が切れます。

「こと」「うち」とか「しまう」とかいうとあんまりいっちょまえ(自立)に見えないかもしれませんが、「こと」「うち」も「しまう」も、助詞でも助動詞でもないですね。「こと」「うち」は(形式)名詞、「しまう」は(補助)動詞です。だから文節は切れるんです。

「だろう」だって、「こと」程度の存在感(?)があるような気もしますけど、これは断定の助動詞「だ」の未然形「だろ」に、推量の助動詞「う」がついたものなので、自立語ではない。

ということで
「あんな/ことを/言って/いる/うちに、/友人の/信頼を/なくして/しまうだろう。」
となります。

でも、自立語、付属語という話も、それから品詞の分類も、「文節」のページより後から出てくるので、わかりませんよね。だから、わからないのは当然なのです。

じゃあ逆にやっとけばよかったんじゃ、と思うと今度は自立語の説明に「それだけで文節をつくることができる」って書いてあったりして(^^;; まぁ、説明の都合上、まずは文節をやりたいってのも後から考えればわかるんですが(習ってる最中にはわからない)。

文法の学習態度としては、なんか意味不明だけど、えいやと問題やってみて、えぇ~ここで切れるの、なんで? と納得いかない赤入れをして、わからないけどどんどん先に行ってみて、いつかどこかで「あぁ」となる。それで正しいんです。しっかりクリアして次に進みたい人にはつらいけど。

「いい加減」「ええかげん」に学習するといいと思いますよ…

そもそも、現代語の文法学習全体が、古文の文法学習のための壮大な前フリみたいなもので、現代語の文法だけ習っていても、なにそれおいしいのくらいでしかないのがふつうです。だって、そんなの知らなくてもしゃべれるし書けるもの(除く、こじろう)。

この、滅多にないほど文法好きの私ですら、現代語の文法をやってる間はまったくおもしろいと思わなかったんです。ま、あんまり悩まないのが吉です。理解があやふやなまま先に進んでも、後で謎が解けるから。

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by an-dan-te | 2013-05-27 11:44 | 中学受験 | Comments(11)

百人一首シリーズ、目次   

  にほんブログ村 受験ブログ 中学受験(指導・勉強法)へ←シリーズが停滞していましたがそろそろ再開します

百人一首シリーズこれまでの一覧
第一首: 田子の浦にうち出でてみれば(動詞)
第二首: 小倉山峯のもみぢ葉(確定条件/仮定条件)
第三首: ひさかたの光のどけき(形容詞・ク活用)
第四首: 奥山に紅葉踏み分け(係り結び・形容詞シク活用)
第五首: わが庵は都のたつみ(句切れ、掛詞)
第六首: これやこの行くも帰るも(助動詞、連体形+助詞)
第七首: 瀬を早み岩にせかるる(を+形・語幹+み、助動詞)
第八首: あしびきの山鳥の尾の(序詞、助動詞)
第九首: うかりける人を初瀬の(形容詞カリ活用)
第十首: 忍ぶれど色に出でにけり(完了助動詞「ぬ」)
第11首: 今来むといひしばかりに(助動詞、有明の月)
第12首: 恋すてふわが名はまだき(副詞、過去「き」)
第13首: 逢ふことの絶えてしなくは(反実仮想「まし」)

* 自分でわからなくなってきたので一覧表を作りました。新しいのを書いたらここに足していきます。

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by an-dan-te | 2013-05-27 08:38 | 中学生活 | Comments(2)

第11首: 今来むといひしばかりに(助動詞、有明の月)   

今来むといひしばかりに長月の
  有明の月を待ち出でつるかな

  にほんブログ村 受験ブログ 中学受験(指導・勉強法)へ←ただ待つのはつらい。やっぱりちゃんと待ち合わせだよね♪

現代生活の中で「月」の占めるポジションというと、ほんの添え物というか、たまに目に留まって「あらきれい」くらいなのですが、スイッチひとつで明かりがつかない時代には、とにかく月が出てるかどうか、これが生活上の重要ポイントでした。

百人一首の中でも、「月」は頻出ですね。文法事項とは違うのですが、月の常識がどんなだったのか少しはわからないと、意味不明になってしまいます。

「有明の月」というのは、言葉どおり、明け方になっても月が空に有る(残っている)ということです。

まんまる十五夜お月様(望月)は、日が暮れるころに東の空に出てきて、夜中いっぱいかかって空を動いていき、明け方には西に沈んでいくわけですね。その月が欠けてくるとともに、月の出が遅くなり、つまりは明け方にまだ西の空に月が残っている状態になります。

九月(長月)の16日以降の月(有明の月)を「待ち出でつるかな」ということですが、一晩待っていたら明け方になっちゃったのか、ずーっと待ち暮らしていたら秋になっちゃったのか、ちょっとはっきりしません。

藤原定家さんは後者の説を取っているそうですが、私もなんとなく、秋になっちゃったのかなと思います。そのほうがドラマチックで、おもしろみがありますよね。それに、「待ち『出で』」というので、待っている間にずっと一晩中見ていた月が残っているというよりは、だんだん秋らしくなって九月の有明の月が出ちゃったじゃないのよ、というふうに取りたいと思います。

文法の話に戻りますと、この歌には助動詞が三つも出てきますね。
「今来『む』と」…意思「む」終止形。引用の格助詞「と」に続いているので終止形です。
「いひ『し』ばかり」…過去「き」連体形。なにせ「過去」を表す助動詞ですから頻出ですけど、「き(終止形)」「し(連体形)」「しか(已然形)」と顔形ががらりと変わっちゃうところが曲者。これは覚えてください。「き・し・しか」。
「待ち出で『つる』かな」…完了「つ」連体形。終助詞「かな」には連体形が接続します。

ところでこの歌の意味上の「へそ」といえば助動詞より、副助詞の「ばかり」です。
「(あなたが)言ったばかりに」
…「ばかり」は現代語でもありますからこのままでも意味はわかりますね。でも
「(あなたが)言ったばっかりに」
…このほうがぴったりかな(^^;; だって、秋まで待っちゃったんですもの、どーしてくれんの。って感じ。

もっとも、この歌を作った素性法師は男性です。女性の立場で詠んだ歌です(ネカマ?)。

[訳読]
すぐに来ようと(あなたが)言ったばっかりに、(毎晩まいばん待ち暮らしていたらとうとう)九月の有明の月が出てしまったなあ。

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by an-dan-te | 2013-05-14 13:12 | 中学生活 | Comments(2)

公立中と私立中、部活の充実度   

まず最初にお断りしておくと、部活の状況は「公立」「私立」でくくれるくらい一様なものであるはずがないのですが(^^;;

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それはともかくとして、私が、子どもが中学生になって初めて気づいたポイントについてちょっと。

公立中の部活の充実度というのは、その規模によってかなり違うはずだけど、またろうの行った中学校は、一学年5クラス程度とまぁまぁの規模。

部活をどれだけ作れるかは、顧問の先生を確保できるかというのが鍵になってきます。先生の数に限りがあるので、部活の数も限りがあって…

またろうの学校だと、運動系はバレー、バスケ、野球、サッカー、水泳、テニスなどメジャーどころがひとそろえあったのに比べて、文化系はブラバンと美術部のみ。またろうは囲碁部を立ち上げようとして画策したけれどそれは先生が確保できないのであえなく潰えて、ブラバンと美術部は「女の子しかいない」といって挫折。選択肢が少ない…

それにしても文化系の少なさは半端ないんですが、これはどういうことなのかというと、部として存在しないと大会にも出られないということで、スポーツ系を優先させているのだというわかったようなわからないような説明がありました。でも、顧問は名前貸しだけで姿も見せず、子どもたちだけでがやがややってて、まともな活動になっていないところも多くて、少数の例外を除いて部活はしょぼかったです。ちょっと数年まともにやってても、その顧問が異動すると廃部になったり。

文化系の部活の充実度は、圧倒的に私立中優位でしょう。要因はいろいろありますが、公立中には伝統なく指導者なく、ついでに高校生もいないということで、スキルの蓄積と伝達が行われにくいのです。文化祭がないということもマイナスです。あと、平たくいうと、勉強のできる子っていうのは要するに何事も極めるタイプが多くていろんなテーマをきちんと深めていくことができますから…つまり、私立の中でも大雑把にいえば偏差値が高いほどオタク度も高い「深い」という傾向はあります。

一方、運動系についていえば、そこそこ強いのは私立に多いのに都内で一番強いのは公立中だったりします。これはどういうことかというと、名物先生がいるところへ、小学校のうちからその分野で頭角を現している子がはるばる越境してくるということです。ふつう、公立中の場合は数年でぐるぐる異動してしまいますが、名物先生になるとその学校の売りにしたいということなのか(どういう扱いになっているのかよくわかんないんですけど)事実上ずっとその学校にいたりするんです。

こじろうの幼馴染で、小学生のうちにあるスポーツの全国クラスになってた子がいたのですが、その子は都内といってもかなり遠い地区(つまり、自治体も違う)の公立中に越境して行きました。その学校が都で一番強かったんです。都内全域から強い子を集めていて、名物先生が指導しており、その先生はずっとそこにいるんです。

だから、ほんとうに何かのスポーツ(あるいはブラバンのコンクール優勝みたいなところ?)で本気にやってる場合は、ピンポイントでその公立中に(越境して)行くことになるんだろうと思います。でも逆に、中学から新たにその活動を楽しく始めたい場合は不向きだったりします。

私立中でも、この学校ならこのスポーツというようなものがあったりしますが、そのスポーツが好きだからといってそこに行くのがいいかどうかは微妙です。つまり自分がその強すぎる部活のレベルほどではない場合はいくらがんばってもレギュラーになれないとかそういうことになるわけです。野球が強い学校といっても、中学受験で入った子がそこまで強くなって甲子園に行くのではなくて、結局ほとんど高校からスポーツ推薦の子が行くんだったりね(こじろうの学校もそうかな)。

だから、特に狙いの部活があるなら慎重に実態調査が必要です。私立も公立もね。

そうでないなら、幅広く充実部活があってよりどりみどりの私立はやっぱり楽しいでしょう。最初からあまり狭く考えないで、あちこち仮入部してみて、雰囲気の気に入ったところを探すのもお奨めです。

受験勉強のために部活をすごく制限するような学校は違うかもしれないけど(そういう学校のことはよく知らない…)。進学校でも、多くの学校は、部活が充実してこそ勉学もがんばれると思って応援してると思います。

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by an-dan-te | 2013-05-04 22:59 | 中学受験 | Comments(6)

第十首: 忍ぶれど色に出でにけり(完了助動詞「ぬ」)   

忍ぶれど色に出でにけりわが恋は
  ものや思ふと人の問ふまで

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この歌は、村上天皇主催の歌合わせで「恋すてふ~」と競ったことでも有名ですね。それで、なんでこの歌合がよく知られているのかといえば、優劣判定するところとかの記録(判詞)がすべて残っている最初の歌合だからなんですって。知ってました?

今、何を見ながら書いてるかというと、「ちはやと覚える百人一首」の本です。この本は、別に古文のお勉強の本じゃないので、文法解説とかはありませんが、「いまさら訊けない千早の素朴なギモン」とか「かなちゃんの古典オタクコーナー」とかあって、楽しめます。漫画から引用された挿絵もきれいだし。

ひとつずつ、漫画登場人物の意訳(飛訳?)がついてるんですけど、この歌に対しては詩鴨ちゃんの
---
隠してたつもりやけど、ばれてしもたわ。「あいつずーっとかるた見てんねんで」って周りから言われるくらいにな。
---
となってます。なんか、詩鴨ちゃん、どっちかっていうとばれてうれしそうな!?

恋も、隠しておきたいような、でも浮名が立つことがまんざらでないような、気分なのかもしれませんね。

「忍ぶ」という動詞は、逆説の接続助詞「ど」についてるから已然形で、それが「忍ぶれ」となっていることからわかるように、上二段活用です。「玉の緒よ…」の歌にも、「忍ぶることの」という、連体形の形で出てきます。

「「色」って、赤とか青とかじゃないの?」というのが「いまさら訊けない千早の素朴なギモン」のテーマになってましたが、「顔色」とかいう言葉もあるし、これは現代人でもわかりますよね…

「出でにけり」の「に」が今回のテーマです。いろんな言葉が形を変えたときに「に」という表記にかぶるので、初心者にとっては悩ましいもののひとつです。テストなんかにも、「に」の識別はよく出ます。ここでは完了の助動詞「ぬ」の連用形なのですが、「に-けり」のつながりで頻出なので、セットで目に慣らしておくと迷わないですみます。

そして「けり」は過去を表しているので、訳読としては完了っぽさと過去っぽさを盛り込んで「~てしまった」としておくのがわかりやすいでしょう。「にけり」で文が完結していますので、二句切れです。

「ものや思ふ」のところは、いわば鍵括弧にくくれる、セリフ部分です。前から何度も出てきた係り結びの例ですね。係助詞「や」を「思ふ」ハ行四段連体形で結んでいて、疑問を表しています。

[訳読]
私の恋は、隠しているが、顔色に出てしまった。「物思いをしているのですか?」と人が尋ねるほどに。

これと競った歌
「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」
は、趣旨が非常に近いところにあって、でも両方よくできていて、確かに甲乙つけがたい感じですね。

判詞の記録によれば、どちらが勝ちかの判断に迷っていたところ、村上天皇がぶつぶつと「忍ぶれど」とつぶやいていたのでこっちの勝ちにしたとか。それで、負けたほうはショックで物が食べられなくなって死んでしまったというのだから、歌も恋も命がけです。

私の勝手なイメージでは、「忍ぶれど」は、なんとなく、バレちゃった、へへ的な余裕が感じられ、「恋すてふ」は本気で口惜しいのかなと。だから私は「忍ぶれど」のほうが好きなんですけどね。

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by an-dan-te | 2013-04-24 12:55 | 中学生活 | Comments(2)

早寝早起き満員電車   

四月、新学期スタートの問題点といえば、何はさておき「早寝早起き満員電車」でございます。

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春休み中、ぶったるみまくった生活リズム。ずるずる夜更かし、朝寝坊、あるいは昼に眠くなって昼寝したって問題なし、というね…あーもー、私だってそういうフリーダムな生活ができる定年後が今から楽しみです(^^)

それはともかく、早々から遅刻するわけにもいきませんので、間に合うように起きます。無理やり。そうすると夜は早めからなんとなく眠くはなるのですが、後ズレした生活習慣をなかなか立て直せず、遅くなってお風呂とかやってるうちに結局11時近く。

中学生が11時就寝でも別に何の不思議もないのですが、それで6時半に起きるとかいうワザは、受験中にだってできたことはなかったわけなので、やっぱり人は人、自分は自分、早く寝なくちゃ早く起きられないならそのように生活リズムを整えてほしいものです。

今なんて、宿題があるわけじゃなし、部活があるわけじゃなし、こんな週にわたわたしてるようじゃ今後どうなるんだかね~

ま、徐々に朝シフトしていただきましょう。

そして、電車通学。小学校とはがらりと変化するのがこの、通学時間です。はなひめなんてdoor to door一時間以内で着くんだからそんなに遠いほうじゃないけれど、それでもこれまでの生活とのギャップは激しい。学校の最寄り駅までは、日特のときに一人で行き慣れているけれど、今度は時間帯が違うので満員電車です。

はなひめは人混みがキライで、楽しい文化祭とか行ってもすぐ不機嫌になるタイプ(^^;; だから、電車どうだろうと思っていたけど、今のところ特に抵抗や緊張なく乗っているようです。混んでいるといっても、都心に向かう特急と違うから、ぎゅーぎゅーってほどではないからかな。乗る電車や車両にもよるんだけどね。

慣れるまではなんとなく気になるので、昨日今日と、時間を合わせて家を出てみました。途中までいっしょに行けます。はなひめが学校に少し余裕持って着くようにすると、その着席時間の40分後くらいに私が会社に到着するわけで、ずいぶん早く出たつもりがようやく定時ちょい前の到着ということに(^^;; そうすると、会社近くなるとちょうど通勤ラッシュのピーク、人が駅構内を歩くだけで大渋滞。ちなみにこれまでは定時をだいぶ過ぎて到着していたわけですが。ほんと遠いって嫌~

混んでいる電車で何もできずに過ごす時間ってものすごくもったいない。それが片道30分長かったら、一日一時間、一ヶ月で20時間以上です。

昨日の記事で、「似合う」学校ということを書きましたが、生き生きした毎日のためには、体力的にも疲れすぎてたらダメだし、時間的にも足りなすぎたらダメですよね。つまりは、長すぎる通学時間(しかも混んでる場合)は「似合う学校」の条件の中で、無視できないマイナス要因になるのです。

ちなみに私的には、はなひめの学校のロケーションは第一志望校としてぎりぎり圏内、勝手な理想をいえばもうちょっと近いほうがよかったなと。こじろうの学校くらい(40分?)までがいいなと思います。それだけで選ぶわけにはいかないですけどね。第二志望校はめちゃくちゃ近かったんですよ。はなひめが「私立に行くって感じがしないね」といったくらい(笑)

確かにそこだったら、近すぎてなんにも寄るところがないくらいだけど、近いに越したことはありません。私の中高生時代の通学は「一駅」でした。あれは恵まれた環境でしたね~たまたま家を買うタイミングだったとはいえ、わざわざ学校の近くに家を買ってくれたので、親には本当に感謝してます。今は、子どもたちの学校と親の職場のすべてに非常に近い場所というのはそもそも存在しないし、「やや」ましになる場所はたいがい高値だし、そもそも引っ越し自体がおっくうな荷物量で、動きがとれません。ま、がんばって通ってください。

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by an-dan-te | 2013-04-11 12:44 | 中学受験 | Comments(8)

学校が「似合う」ってどういうこと?   

志望校選択のときに、よく「似合う」って表現を使っていたんですが…

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「似合う」学校の見分け方についてはずいぶん書きまくってきました。学校に行ってみるとか、過去問を解いてみるとか、etc. でも、そもそも「似合う」っていう言葉を正面から説明したことがなかったような。

ということで、私が考える、学校がその子に「似合う」という状態はどういうことなのか、ざっくり一言でいうと、
生き生きした毎日が過ごせること。

ぶっちゃけ、「生き生き」とは過ごしようがない最悪の状態というのを考えると:
・いじめる子がいるので、教室にいるときはいつもビクビク。
・授業が難しすぎてさっぱりわからない(あるいは、あほらしいくらい簡単)。退屈。
・やりたいことがない。部活もやめちゃった。
・話の合う友だちがいない。
・細かい意味不明な校則が多くて、先生も高圧的で嫌。
とか。たとえばですけど。これじゃ困りますね。

つまり、その逆が、「生き生き」過ごせる条件:
・学校が、安心して過ごせる場である(必須)。
・授業は、おもしろいのと、まぁつまらないのもあるけど(^^;; ときどき「おぉ」「へぇ」とか思う。
・部活は楽しい。というか、部活仲間といると楽しい。
・話が合う子がけっこういる。
・やってみたいことが(いろいろ)ある。今、がんばっていることがある。
・先生は、けっこう生徒のことを真剣に考えてくれてると思う。
など。わくわくがいっぱいあって、感動があって、体験があって、仲間がいる。

学力が順調に伸びていちばん「いい大学」に行ける学校はどこか? と考えるのとは方向が違います。

生き生きした六年間を過ごしたからといって、親が望むような進路に行ってくれるとは限りません。本人がやりたいことを見つけてしまって、「劇団に入れるために○○中(中高一貫進学校)に入れたんじゃないのよ!!」と親が叫ぶことだってあるかもしれない(笑)

まぁでも、もしもそういう、親が安心できないような進路を本人が選択し、それで親の懸念どおりどこかで挫折したとしても、そこからまた転進し立て直すときには、「生き生き」した六年間を過ごしたことが支えになってくれるのだとは思います。たぶん、人とコミュニケーションすることも、自分の頭で考えることも、それなりにできるようになっているでしょうから…

それと、おそらくですが、学校生活が「生き生き」していなかったら、やっぱり「いい大学」に行けるほど学力伸びないでしょう(六年間、長丁場ですから)。

仮にですね、ほんとにもし仮に、とにかく少しでも難しい大学に行ってくれることが子育てのゴールだと考えていらっしゃる親御さんがいるとして(いないと思いますが)、そういう方にも、子どもが「生き生き」過ごせる学校はどこか? と考えて学校選びするのはお奨めできます。

脳の働きがよくなり、記憶力がよくなるのは、
・他人とのコミュニケーションが豊富にあるとき
・どきどき、わくわく、感動があるとき
であることは、最新の脳科学の知見からも明らかです(*)。毎日まじめに勉強しているけど、脳が退屈している(会話も乏しい)なんてのじゃ、六年後の難関大合格は難しいですからね。

百ます計算の話のときもありましたが、同じ課題に取り組んでも、「死んだ」実践は学力を伸ばさず、生き生きした実践はきちんと効果を上げました。まぁそういうことじゃないかと思います。

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(*)「記憶力を磨く方法」池谷祐二監修、夏谷隆治著(大和書房)など

by an-dan-te | 2013-04-10 22:11 | 中学受験 | Comments(9)

制服美人   

新学期早々、親バカ全開をお許しくださいませ。

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新しい制服を着た娘を見て、まぁなんと似合うこと!!(o_o) 本人の中のきれいさを遺憾なく発揮していて、とっても素敵(^-^) 立派な中学生に見えます。

それで、テンションupして入学式に向かいますと、続々と集まってくる新入生。これがもう…
制服美人揃いっ!!(^^;;

なんと、制服が似合うのはウチの子だけじゃありませんでした(笑) 同じ制服に身を包まれた女の子たちがずらりと揃っている会場内はほんとに壮観です。

考えてみれば、こんな光景をまじまじと見たのは初めてのことで。なにしろ上二人は共学校ですし(そりゃ女子校に行くわけはないんだが)、自分がいた女子校は制服がなかったし。

私自身は、制服がない学校が好きというか、制服なんてないほうがいいと思ってました。寒暖の調節もしにくく、洗濯もしにくく、実用的じゃないし、第一、着るものを学校に決めてもらう必要なんてないし、ほっとけ!! と思ってたので。

しかし、いざ娘の受験校を探そうというときになると、世の中、制服のない学校は圧倒的に少なくて、選択肢は非常に乏しい。しかも、肝心の本人が「制服がある学校がいい」と言い出すものだから。周りの子にどう思われるか? を考えながら服のチョイスをするのは面倒なんですって。まぁ、そういう考えだったらそりゃもう制服のある学校がいいでしょう。それならいくらでもあるから。ってか、そもそもそういう子は少なくともJGだけは向かないね。

制服についてはそんな程度の感触しか持っていなかった私ですが、今回、揃いも揃って制服の似合う、なんだかとっても雰囲気の似た女の子たちがぎっしり並んでいるのを見て、やはり制服の作るこの圧倒的な統一感はすごいとあらためて思いました。考えてみれば、国語の入試問題の性質がその学校の行う選抜の性質の一部を形成するように、制服もある意味、その学校を目指す子のカラーを「やわらかく」ではありますが規定するわけです。たとえば、「セーラー服の学校がいい」といってそれにあてはまる学校ばかり見ている子とかもいますが、そこまではっきりしていなくても、ある制服を着ている在校生たちを見て、受ける印象というものがあり、気に入ったり気に入らなかったりするのですから。

制服が「似合う」ということは、その学校に「似合う」ことのひとつの表現、象徴です(「似合う」ことの必須条件ではありませんが)。そして制服がある学校が大多数である中で、制服がないということもまた、特定の制服があることと同等の機能を果たしているといえるかもしれません。

そして、式のときはその均質性ということがことに印象深かったのですが、いったんクラスごとにばらけて写真を撮ったり話を聞いたりというときになり、ひとりひとりが目に入ってくると、また印象が変わりました。

全員が同じ服を着ているだけに、それぞれの微妙なフィット感の違い、あるいは動作、表情の違いというものが際立って見えてくるのです。

これはまさに、「均質性の中の多様性」が私学の価値である、ということと合致している。

四十ウン年生きてきて、今更といわれそうですが、ようやく制服の効用というものに思い至りました。私学がそれぞれのカラーを作り、空気の教育力を発揮する中で、制服というのも重要なひとつの要素なのですね。

こじろうが入学式で学ランを着たときには感じ取れなかった感慨です(^^;;

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by an-dan-te | 2013-04-09 08:37 | 中学受験 | Comments(20)