「嫌ならやめてもいいのよ」という言葉   

子どもが、何か習い事をしている…とか、あるいは
子どもが、中学受験をしている…とかいうときに、

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それは親主導で始めたものだったりすることもあるでしょうけど、それでもやはり本人の自主性というか意思というか、そういうものがないと話が始まりません。
親が押し付けてたんじゃよくないですよね。

ということで、「嫌ならやめてもいいのよ」と親が言う、ということについてあなたはどう感じますか?

この「嫌ならやめてもいいのよ」というのは、親子の関係性、あるいはその活動の位置づけでまったく違った響きになると思います。

たとえば、何か試しに始めてみた習い事で、やってみたらばちょっと合わないかなぁという場合に言うとか。
あるいは、その習い事が合わないというより、先生が合わないかなという場合に言うとか。

これはちょっと方向転換したほうがいいかなぁ、ということを親も子も感じている、というときであれば、それは建設的な提案であって、それをきっかけに「そうだな、いったんやめるか?(別のところにかわるか?)」ということを具体的に検討すればいいですね。

でも、たとえばこういう場合…

たまたま、五島みどりが1987年に出てたテレビ番組をYouTubeで見たのですが、この中で「嫌だったらいつやめてもいいということを言うようにしている」というところがあったんです。

私はそれを聞いて、ひーーー怖いよぉ(o_o)、と思ったのですが、この番組を締めくくるコメンテーターは「この番組をご覧になっている方の中で、受験生をお持ちの方もたくさんいらっしゃるでしょうが、勉強が嫌だったら、やめていいとはっきりお子さんの前でいえる方が何人いるでしょうか」「お母さんののびのびした教育の中でみどりさんは…」などと言っていました。

アホか!? なに、イイ話風にまとめてるんだ!!

バイオリン以外のことは何でも母がやってあげる(口にごはんを運ぶとか)ようなバイオリン漬けの生活にして、バイオリンのために日本の生活や父を捨てて母子で渡米して、
そんな中で発せられる「やめていい」がどう受け止められるのか考えたことがありますか??

ほとんど、生きるのやめていいよと同義で、残酷な言葉です。どこにも行き場がありません。

いや、そんな大天才と比べるなって、そりゃもううちの子たちがどういうのびのび自由な育て方をしようが、逆に超~プレッシャーをかけようが、世界のMidoriになるわけじゃないので次元の違う話ですが。

なんだかんだで中学受験させようと決意して、四年生からとか塾に行かせて、勉強をすることができるようにあの手この手で段取りし声かけし、成績は上がったり下がったり一喜一憂、それで六年生まできたある日。勉強をしてるはずの時間にこっそりゲームしてたとかそんな理由でいきなりカーッとなって「嫌ならやめちゃいなさい」って、それ本心ですか。

本気でないことぐらいは子どもにだってわかります。親が実行できない脅しには意味がありません。信頼感を損ね、ほんとうに脅さなけりゃいけないときにはもう効果がなくなります。

「18:00までに宿題がここまで終わってなかったら外食に連れていかないよ」
とか、実行できる脅しならあまり害はないと思いますが(^^;;

あるいはもっと深刻な話で、もうあまりにも勉強しないので(あるいは、成績が上がらないので)子どもがやめたいんだったらやめさせようかというのが親としても本心の場合。

これはもうちょっとややこしい問題です。これが「残酷なひと刺し」にならないかどうかは、それまでその活動につぎ込んできた時間と、汗と涙とお金の重みにもよりますので。

私は、「嫌ならやめてもいいのよ」といったことはありません。この言葉をプラスに響かせるのは、難易度が高すぎて私にはできないと思うからです。やるからには、「嫌」でない範囲で勉強し、現在の小学校生活を犠牲にしない範囲の受験生活を送り、それできちんと成果(本人が充実の六年間を過ごせる学校に入学させる)を出したいのです。

だからうまくいかないときも、どうすればこの路線に乗せられるかを真剣に考えました。結果的に、「嫌ならやめてもいいのよ」といいたくなるような場面は現れませんでしたが、仮にそういう成行きになったときでも…

この言葉が、イコール、「生きるのやめてもいいのよ」という意味にまでなることはないように。
つまり、あまり中学受験しかないみたいな入れ込み方はしないと心掛けておくのが大事かと思います。

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by an-dan-te | 2015-11-17 14:07 | 中学受験 | Comments(16)

Commented at 2015-11-18 00:06 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by くるみ at 2015-11-18 10:17 x
五島さんのお人柄をよく知らないのですが、なんとなく、「嫌だったらいつやめてもいい」という言葉の中には、「子供がやめたいと思っていない」ということを見透かしているような、そんな感じがありますよね。
本当にやめた方がいい情況の「嫌ならやめてもいい」とどこか違うような。

親主導でずっと続けてきたことを「嫌だからやめる」と子供に結論出させること事態酷ですよね。
「やめる」なら親がやめさせないと。

もしうちが中学受験をしていたら、子供の態度や言動にカーッとなって「嫌ならやめていい」と言ってしまったと思います(T_T)

私の場合、「できれば続けさせたい。だけど子供の性格、力量を考えるとうまくいきそうにない。このままでは子供もかわいそう。親子関係も悪くなる。やめてほしくないけど建設的な解決策なし。」そういう情況に追い込まれると出そうです^^;

ただ、子供もわかったもので、本当にやめるかやめないかと追い込まれた情況での言葉か、そうじゃないか、わかってるんですね^^;

うちは長い間続けてきたスポーツがあるのですが、環境を変えたほうがいいと思ったときと、高校受験のためにと、2度ほど途中でやめたことがあるのですが(できればやめさせたくなかった)、子供の性格、力量、置かれた情況、優先順位、などを考慮して、最終的に子供の気持ちを聞いて、親が結論を出しました。
本当にやめるときは「嫌ならやめてもいい」なんて言葉は出ないです。

子供が小学生ぐらいだと親も周りが見えないと言うか、こどものためにと、やってきたこと、続けてきたことに、しがみつきたくなりますよね。私もそうでした。
やめる勇気ってなかなか持てないので、泥沼化しやすいのですが、子供が18歳となった今、親の思い通りに行かないことなんてたくさんあって、なんであの時あんなにもしがみついたんだろう、って今になって思います。
やめる勇気も時には大切ですね^^;

五島さんと次元の違う話ですみません。
Commented by ぎどん at 2015-11-18 12:18 x
我が家はそもそも習い事系はすべて(緊急事態を除く)、
・始めたら半年は続ける
・半年続けて合わないと思ったら「やめたい」と言ってよい
という原則があります。
保育園時代から、水泳でもエレクトーンでも体操でも塾でも、すべてこの原則を伝えてから始めています。
で、中受については、始める前に、上記に加えて
・半年ごとにどうしたいか聞くので、その時やめたければやめてよい
・ただし6年夏休みを過ぎたらもう「やめる」とは言い出せない
と伝えてあります。そういう意味では「やめてもいい」って言ってますね、我が家は。正確には「やめてもいい」じゃなくて「半年ごとにやめるかどうかを確認する」ですが、まあ確認したからにはやめてもいいわけで。

我が家の子供たちはあまり状況想像がうまくないので、始めてみたら思ったよりずーっと辛かったわーもーやだ!となる可能性もあって、そうなったらそこまでして中受しなくてもいーやー無理したくないしー(「させたくない」ではなく*親が*したくない←ヘタレ)が親の方針だったので、上記のようになりました。

親がやめる(やめさせる)気がないのに「やめてもいい」はあかんですね。というか、「やめたら見限る」と大書した背景の前で「嫌ならやめてもいいわよ」というのがあかんのでしょうね。「テレプシコーラ」という漫画では、親が「やめてもいい」と言わなかった(「やめるなんて言うな」的なことを言った)のも一因で悲劇が起こります。「やめてもいい」と言うのも言わないのも、どっちもリスキーですね…難しい。
Commented by まねき猫 at 2015-11-19 09:32 x
自分の心を見透かされているような・・・本日のお題でした。
我が家は親主導で始まった受験なので「やめていい」は禁句として使ってこなかったけど、
嫌でない範囲でレールにのせる実践中なのですが、それでも、がんばっている周りと比べて焦る毎日です。
でも、今日は「間違っていないかも」ってちょっと元気になりました。

良いタイミングで良い記事。
ありがとうございます。
Commented by an-dan-te at 2015-11-19 13:09
***(2015-11-18 00:06)さん、
それはかなり…口癖になっちゃってますか?(^^;;
まーたぶんお子さんも耳タコで、右から左へ華麗にスルーしていてたいした害もないかもしれませんが、もしその癖をやめられれば…つまり、お子さんの望ましくない行動や態度に接したとき、「やめてしまえ!」というのではなく「さて改善に向けて次の一手は?」と自然に考えるようになったらということですが、ちょっと気分的に違った展開が開けてくるかもしれませんよ。
Commented by an-dan-te at 2015-11-19 13:21
くるみさん、
そう、子どもがやめたいと思っていない、あるいは、もうやめられるはずがないと見透かしたうえでの「やめていい」というのは冷たいと思います。

ピアノもバイオリンもそうですけど、子どもの意思や適性など明らかになるよりずっと前に親の意思で始めさせて、子どもが思春期になるころにはもうピアノ以外で身を立てることも考えられないくらい偏った時間の使い方をすでにしており、かといってピアノで身を立てることだってそんな簡単に見通し立たないですから、「やめてもいいのよ」「ほかのことなんか今更できない!! こんな私に誰がした!!」のバトルは壮絶なものになります。

中学受験の場合、つぎこむ時間がそこまでではないんですが、構図はなんとなく似てるところがありますから、要注意です。

> 本当にやめるときは「嫌ならやめてもいい」なんて言葉は出ないです。
そんなものかもしれませんね…
Commented by an-dan-te at 2015-11-19 13:25
ぎどんさん、
「半年」っていい具合の期間かもしれませんね。
塾通いも半年くらいすると、どれくらい合ってるかがわかると思います。つまり、その塾の週サイクルの学習カリキュラムがどのくらい身についていくタイプの子なのかというような。

> 「やめたら見限る」と大書した背景の前で「嫌ならやめてもいいわよ」というのがあかん
ほんと、あかんですわーこれは。
いろいろと裏切ってます。
Commented by an-dan-te at 2015-11-19 13:26
まねき猫さん、
そうですよねー
嫌でない範囲、小学校生活を犠牲にしない範囲で、満足のいく「やってよかった中学受験」ができるのかどうかという、ラクダを針の孔に通すみたいな課題だったりします(笑)
Commented at 2015-11-19 13:34 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by みさまま at 2015-11-21 12:39 x
こんにちは。

「嫌ならやめてもいい」これ、禁句ですよね。我が家でも一度も使いませんでした。これを言うときは親がすでに受験をやめさせようと覚悟している時ではないでしょうか。
大体、中学受験が全く嫌じゃないなんて子なんているのかな。

さて、数学だけ〇台に通っていた娘ですが、先日、やめたいと言い出しました。理由を尋ねたところ、そもそも学校より進度が遅くて役にたたない、学校の先生のほうがわかりやすい、そして、最大の理由が何かにつけ先生が「いい大学にいくには~」を連発することだと。「大体どの大学に行きたいかもわからないに・・・。そんなにいい大学にいくことに意味があるの?」とのこと。
へぇ~、結構自分の頭できちんと考えているんだなぁと感心してしまいました。結局やめちゃいました。娘も私も重しがとれたようでなんかすっきりしました。

次に日、娘が「あっ、でも高校になったら予備校通うからね!〇台は絶対やだけど・・」と・・・。結局通うんかい!と突っ込んでしまいました。

Commented at 2015-11-24 09:25 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by an-dan-te at 2015-11-24 19:26
***(2015-11-19 13:34)さん、
そうですね、要するに、「やめたら見捨てるぞ」とか「やめたら人生やめるのと同じ」みたいに退路を断ったうえで「嫌だったらやめてもいいのよ」ってのはNGですけど、

もちろん、中学受験であれ習い事であれ、やめどきってのはありますよね。やめられないという錯覚はそれはそれで怖いから、「嫌だったらやめてもいいよ」という提案はそれはそれで大事(なときもある)。

結局、考えてみれば、これはほぼ同じことをいってるんですよね。退路を断ってしまうことが問題で、そしたら、やめてもいいよといってもいわなくても、そりゃのっぴきならないんです。

たかだか中学受験ですから。

どちらの道もいけるように、ほどほど勉強しておくってのはこれは、損がないですね。だって、公立中行くんだってやっぱり、基礎学力がちゃんとしてるほうがいいもの。でもその場合は、モチベーションを保つこととか、達成感を得ることが課題になりますね。

ちなみに、自分にとって未知の分野だから、高校受験のほうがブレッシャーなくやれるのかななんて、それはナイと思いますよ。私にも子どもにも、高校受験はそりゃあストレスフルだったもの(^^;;
Commented by an-dan-te at 2015-11-24 19:31
みさままさん、
禁句というよりは、特に言いたくなった場面はなかったです。子どもも、やめたいとか、塾に行きたくないとか言ったことはないですし。
(もちろん、勉強したくないってのはある。ありあり)

私自身も、塾や塾の勉強は、学校や学校の勉強よりはるかにおもしろかったから、やめたいと思ったことはないな。でも、なかなか勉強しなくて、勉強しろとかいわれたことならある(爆)

塾は…それこそ学校で落ちこぼれてるのでもなければいらないでしょう、まだ。でも高校になって大学受験を考えたときはまた別なのかもしれませんね。
Commented by an-dan-te at 2015-11-24 20:25
***(2015-11-24 09:25)さん、
はじめのうちは、等身大の受験をぼちぼちやるつもりで、
でもだんだん上へ上へと駆り立てられて数字や課題に追われる気持ちになっていくのは、とてもよくわかります。

というか、ほとんどの人が抱えている葛藤じゃないですかね。

私とりんこさんのイベントは、まさにいろいろ消化できないものを抱えている方をメインターゲットとしておりまして(^^;;
もう塾代を払う以外親はやることなくて、
子どもは自分ですいすい勉強して難関へ、
という人はたぶん来ません。

というわけで、気楽にお越しください。お帰りの際には、少し肩の荷が軽くなっているといいなと思います。
Commented by 通りすがりの苺 at 2015-11-26 08:37 x
いつも参考にさせていただいています。

「嫌だったらいつやめてもいい」

集中力がありすぎる子の場合、自分の本当の気持ちにあまり気付かないまま、頑張り続けてしまうとか、そういうことじゃないでしょうか。自分の気持ちに耳を傾けてごらん、というのと同義語かなと。

うちの娘はいたって普通なので、そこまでの頑張りはないけれど、時に過集中になって煮詰まっちゃった時には、「やめてもいいよ。」と言うことはあります。次元が違うかしら。

コメンテーターがいい話風にまとめちゃったのは、一般人に無理やりあてはめたような感じがします。

通りすがりで失礼いたしました。
Commented by an-dan-te at 2015-12-01 11:53
通りすがりの苺さん、
そうですね、無理してがんばり続けてしまう子にかける言葉…難しいですね。うちには幸か不幸かそういう人材はいなかったんですけど(^^;;

生まれてこのかたAしかしてこなかったという子に、やめてもいいよといっても息の根を止めちゃうだけですけど、AもあるBもあるCもある…という状況なら「やめてもいいよ」が救いになることもあるし、あるいは「やめる」というようなオールオアナッシングではなく、ほどほどに続ける、やり方を変えるというような、過集中の子には見えにくい方向を提示してやることが救いになるかもしれません。

Aしかない育て方というのは、どんなに溢れる才能があっても高リスクなので、もうそうなると言葉のかけ方でどうにかなるものではないかもしれませんね。

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