第三首: ひさかたの光のどけき(形容詞・ク活用)   

ひさかたの光のどけき春の日に
  しづこころなく花の散るらむ

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ジャスト季節に沿った歌といえばこれですね(^^)

「ひさかたの」というのは枕詞といって、次の言葉「光」を引き出しているだけで大した意味はないことになっています。「あおによし」奈良とかそういうのですね。でも、「ひさかたの光のどけき春の日」というと、枕詞がないよりもやっぱり、なんとなくうらうらとのんびり明るい雰囲気が伝わるような気がします。

今回のテーマは形容詞です。形容詞を探してみてください。二つあります。

* * *

「のどけき」と「なく」が形容詞です。なんだか、形容詞には苦手意識を持っている人が多いような気がします。それは見た目の「顔」が場面によってあんまり違いすぎて、印象が定まらないからなのかなと思うのですが。

「のどけき」の活用はこんなです:
のどけく(ば) のどけく(て) のどけし(。) のどけき(とき) のどけけれ(ども) ○

何がわかりにくいかというと、「く」「き」「けれ」とか、カ行なのかな~と思ったのに、終止形がいきなり「し」という、ここに「許せない感」が漂ってるんでしょうね。活用語尾は「く・く・し・き・けれ」。この、「くくしきけれ」だけ何度も唱えてみてください。未然形のときの「く」を取って、「ク活用」と呼ばれています。「く」「けれ」のところは現代語も同じです(「白く(ない)」「白く(て)」と「白けれ(ば)」)。連体形(「白き衣」など)は古めかしい言い方としてわりとお馴染みだし、要するに終止形が「し」で終わることにさえ慣れればだいたいクリアです。

「のどけき」は「春の日」という「体言(名詞)」にかかっているので連体形です。

命令形のところの「○」は、命令形がないことを示しています。ク活用には、命令形がないんです。

…でも、形容詞だからって、命令形がないってことはありませんよね。ほら、百人一首の中にも「はげしかれとは祈らぬものを」ってあるでしょ。「はげしかれ」は形容詞の命令形です。形容詞には、ク活用にカリ活用と呼ばれているものがセットになっています。その話は別の歌でカリ活用が出てきたときにしますね。

ところで「のどけし」ってなんか現代人的には違和感がありませんか? だって、今でいうなら「のどかだ」でしょ。のどかな春の日。形容詞ではなくて、形容動詞ですよね。でも明らかに同じ語源っぽいのですが…。いつの間に品詞が変わってしまったんでしょうかね。

「なく」のほうは問題ないですよね。基本的には現代にも生きる形容詞です。
なく(ば) なく(て) なし(。) なき(とき) なけれ(ども) ○

「しづこころ」は「落ち着いた心」「静かな心」で、「しづこころ」がなく花が散っていく、と。「なく」の次は「花」という体言ですが、「なく」は花ではなくその先の「散る」(用言・動詞)にかかっているので連用形なのですね。ところでこの「花」はなんかテキトーな花ではなく、ばっちり「桜」のことです。詞書(ことばがき)に「桜の花のちるをよめる」となっていますので明らかなのですが、この時代で断りがない限りはぶっちゃけ「花」といったら「桜」です。まぁ、日本人として、その気持ちはわかりますよね。

この歌の最後に「らむ」があります。これは推量の助動詞で、終止形「散る」に接続しています。目の前に見えていないものを推量するときにも使うのですが、この場合、桜が散ってるのは見えてて紛れもないので、散っていることを推量しているのではなくて、なんで散ってるのという疑問を表していると取るのが一般的です。

けど、桃尻語訳(by 橋本治)では、疑問ではなく、「現在の事象についてその原因・理由を想像・推量する」ととっているようで、こうなっています。
「ひさかたの光しずかな春の日に落ち着かなくて花は散るのさ」

私の「訳読」は一般的なほうで書いておきます。

[訳読]
(日の)光がのどかな春の日に、落ち着いた心がなく桜が散るのはなぜだろうか。

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by an-dan-te | 2013-03-27 13:02 | 中学受験 | Comments(4)

Commented by gura at 2013-03-27 23:45 x
百人一首、一緒に対戦する人の好きな歌をよく覚えてしまいました。この歌もそうです。同じ人、白露の~も好きだったなあ。好きな理由を聞いたら、歌の意味とは関係が無かったのですが・・。
でもこの桜の季節が、早くになくなったその人の命日なんです。
そう思って読むと、しんみりしてしまいます。

私の高校のときの教材の歌意、

陽光ものどかなこの春の日(なの)に、(なぜ)落ち着いた心もなく、桜の花は散り急いでいるのであろう(か)。

になっていました。しんみり。

アンダンテさんのおかげで、文法も好きになってきました(^-^)
Commented by ハット at 2013-03-28 00:15 x
連続古文講義、とても楽しいですね。古い記憶を引っ張りだし、頭をフル回転させています!
桃尻語、なんて懐かしいのでしょう。流行りましたよね。
文の分析により文および文章の正しい解釈が成立し、ひいてはその文章を味わうことができるというのは、古文も現代文も同じですね。

次の記事容のに関してですが、社会科というのは日常生活に直結し、私達の今!はあらゆる史実や地理的政治的背景があり存在するんだと感じ取れると、ただの暗記事項でなくなるような気がします。デパートで催される北海道フェアなどは様々な要因を感じることができるのでお薦めです(^_^)。
Commented by an-dan-te at 2013-03-28 08:13
guraさん、
お互い、お気に入りの札があるところが勝負の味ですよね。

> …桜の花は散り急いでいるのであろう(か)。
…そう読むと、しんみりしますね。
Commented by an-dan-te at 2013-03-28 08:15
ハットさん、
この百人一首講座を書いていて思ったのですが、楽譜を読み解く(演奏する)のに似ているなぁと。ルールにのっとって作者の意図に寄り添うことで、あらためて生まれる自由と楽しみというような。

北海道フェア(^^;;…やっぱり、おいしいのが社会科ですよね♪

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