学校の常識は世間の非常識!?   

いやー、掛け算の順序の問題が、こんなに奥深い、根の深い問題だなんて思いませんでした。

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コメント欄を通じて、むちゃくちゃ詳しい方々からいろいろ教えていただいて、にわかに私も少しだけ詳しくなりました。詳しくなっていく過程で、考え方のニュアンスもちょっと違ってきましたけど、私なりの結論はこうです:

子どもたちの理解を促すための工夫として、説明の中で表記統一をするのはあり。ただしそれを逸脱する書き方が誤りであるという扱いはすべきでないし(誤りであるとする態度そのものが算数/数学的に誤り)、ローカルルールについてはローカルルールであるという自覚を保持し続けてほしい。

教育実践の研究会などで指導熱心になればなるほど、ローカルルールがややこしくなってくるようで、いくつかの指導案などを見ていたら、その複雑さ(と納得のいかなさ)はもう、私自身が小学校一年生に戻っても修了できないのではないかと思えたり(^^;;

熱心はけっこうですけどその方向が…

問題は、掛け算の順序だけではないのです、もちろん。もっと本質的な問題は、先生は熱心に指導の工夫をするほどローカルルールに染まりやすく、しかもやっているうちにそれが行き過ぎても、世間の批判は先生に届きません。先生はテストをして子どもを評価するという権力を持っていて、テスト(やその採点)や評価のあり方がおかしいという意見をする親はモンペとしてくくられます(笑)

真の意味で指導力があり、それに自信を持っている先生はそんなところにハマりませんし、何か保護者から意見されても聴く耳を持っています。けど、虚構の自信がある先生には意見できないですね、怖くて。

私は、子どもたちが「掛け算には順序がある」という教わり方をしたことについてあまり「どう」とも思っていません。子どもは大きくなってもっといろいろなことを習って、とっくにそんなところからは自由になりましたし、もしかしたら、その「工夫された教え方」で当初の理解が助けられた面があったのかもしれません(知らないけど)。

子どもが掛け算順序についてローカルルール違反をして、テストでバツをもらい、その結果「あゆみ」の評価が下がっていたとしても、まったく気になりません。小学校の評定が先生の主観(価値観)で左右されるのは当たり前のことで、「掛け算順序」はその中のごくわずか一部、誤差にすぎませんし、評価が低くても子どもの理解度に変わりはないわけですし、実害もありませんから。

不審な低さが見て取れる場合はいちおう原因の確認はします。改善すべき点がわかる場合もあります(ずっと絵の具を忘れていっていたため図工の評価が低いとか!!) そしたらそれを直せばいいし、問題点とされたものが問題点でないと思った場合はスルーします。それだけです。

およそ、人にものを教えるという仕事は、理屈というか合理性だけで割り切れないところもあり、先生の信念で偏った部分があっても、それによってより印象深く、人生の糧が得られることだってあります。伝統芸能の「お師匠さん」って、わりとそんな感じじゃないですか? 学校の先生も、いろんな裁量の幅があっていいと思います。ただ、途中の指導については偏りや主観が入っていてもよいけれど、最終の評定については学習内容の理解度に対して客観性をもって評価したほうがいいんじゃないかとは思ってます。習い事じゃないんですからね。でも先生も人間だからなかなか難しいでしょうね。

ただ私の心が広いのも小学校までです。(公立)中学校では、評定が高校入試にも関わるというシステム上、客観性のない、先生独自のこだわりポイントで評価が下げられたら、そりゃ気分悪いです。いや気分の問題ではなくて実害があります。

たとえば、証明の書き方(あるいは用語)についてローカルルールがあって、数学的に正しくてもそれに違反すると減点あるいはバツになってしまうなどです。もし私自身が生徒だったら、先生のこだわりポイントをしっかりメモしておいて、試験前夜に暗記するくらいのことはしていくでしょうけど、またろうはね…もちろんできませんでした。

まぁそういう如才なさというものが、数学という科目の評価の中にも含まれるのだと考えればよいかもしれませんが、そういう、学校内のローカルルールになるべく無批判に従っていくような価値観と、入試当日によい点を取れるように、世間的な意味での学力をつけていく価値観の二つに、引き裂かれながら暮らしているのは快適なものではありません。

私立中の先生ならローカルルールタイプの人がいないとか少ないとかいいたいのではないんです。ただ、私立中なら二つの価値観に引き裂かれなくてすみますので、どこまでもついていくにしても、あるいは無視するにしても、心安らかにいることができます。

私が、子どもの進学先として、公立中を選びたくなくなってしまった理由のひとつがこの「学校の常識は世間の非常識」問題なのです。ただし、そのゆがみの根本原因は、先生がローカルルールを作ることではなくて、学校内の評定を入試に使おうとする制度自体にあると思っていますけど。

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by an-dan-te | 2012-12-13 13:28 | 中学受験 | Comments(3)

Commented by トマト at 2012-12-13 14:16 x
共感しながら読みました。塩梅って曖昧な言葉だけれど、でもやっぱりさじ加減やバランス感覚って必要です。こと、人を育てる仕事ですから、白か黒かですべて割り切れることではないと思います。

個人的には、掛け算には絶対順序があって、未来永劫どのような状況でもそれを守らなければならない!と言うのもいやだし、交換法則があるのにそんな指導方法は馬鹿らしいと一蹴するのも違うと思っています。バツはけしからんというのも、状況によりけりで、たとえば、全員で答え合わせをしていて、先生がそこまで指導下通りに全体向けに解説と解答をし、子どもが自分で訂正の赤を入れていると言う状況であれば、それに目くじらを立てるのもどうかと。なので、あまりに感情的にヒートアップした議論には加わりたくないというのが、くだんのリンク先ブログを読んだ率直な感想でした。(つづく…)

Commented by トマト at 2012-12-13 14:17 x
(…つづき)
ところで、以前リンクしていただいた我が家の三男の掛け算ですが、最近はあの七面倒くさい単位をつけた立式を必ずしも要求されなくなったようです。導入が終わり、一通りの理解ができたという判断なのかな?と思いました。書き方の順序に関するルールはまだ生きているかもしれませんが、交換法則も教えてもらったそうです。指導とは、何ごとも順序立てて段階的に理解に応じて行うものだと思うので、信頼できる先生の指導をただ見守っています(そういう先生に「当たった」巡り合わせに感謝しつつ)。

最後の一文、心から同意します。先日、K県の新しい入試制度など聞きかじりましたが、いやはやなんとも。人が人を評価することに畏れを感じない人が人を評価する…。ホラー以上の怖さです。
Commented by an-dan-te at 2012-12-13 21:13
トマトさん、
個人的にはね、先生が自分の個性と価値観を教え方の偏りに託して次世代に伝えようとするのは特に邪魔立てしたくはないんです。そうやって得てきたものがいっぱいあると思うし…「師」ってそういうものだから。

でも、中身がない形式主義者や他罰的な先生は論外。変わったことする分だけその人に魅力と実力がないとね。

> 人が人を評価することに畏れを感じない人が人を評価する…。
いやもうね。怖いよね。

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