親子で楽しむ中学受験の落とし穴
2012年 06月 13日
←親子だからできること、親子だから難しいこと
こじろうと同じ年の男の子が受験するブログで、たぶん、その子は今、某難関中高一貫校に通っているはず。低学年のうちからじっくり、「親子で楽しむ」を積み重ねてきていて(といっても、そのころ私はブログを読んでなかったので、漠然としか知らないけど)、それで六年の一年間だけサピに通って、N60超の人気校(かつ、自分でも気に入っている学校)に合格したんだから、それはもう理想的なストーリー、のはずなんだけれど。
そのブログの最後のほうは、なんだか迷走してすべてがちぐはぐになっており、どういうわけだか盛り上がらないで終わったんです。
私がその当時「親子で中学受験を楽しめるだろうか」という記事を書いたときには、自分がなにしろその対極をゆく中学受験(五年から大手塾につっこみ、やみくもに最短でえいやっと)をやっていたということもあるけど、それだけじゃなくて、そのブログにはなんか違和感がありました。なんていったらいいのかなぁ…
親にも教養とある程度の時間とそして有り余る熱意。子どもにも、かなりの素質。すべて、非常に恵まれた「資源」を持ちながら、それがすべて幸せに向かって生かされているかというと、確かにそういう部分もあるんだけれど、どこかちょっとだけ方向がズレているというか。
最後はそのズレの蓄積が表に出て、人もうらやむはずのストーリーが、本人にとっては納得のストーリーでなかったような、そんな終わり方でした。
私はそのときに感じたことと、それから今回、前回よりは中身を見る中学受験をやってみて、つくづく思ったのが、「親子で楽しむ中学受験」の面白さと怖さです。
中学受験をすると決めたからには、塾の送迎とか、弁当作るとか、塾代を払うとか、願書を書くとか…そういったもろもろの親の仕事が発生しますが、それは楽しみではなくて基本的には単に面倒なこと、負担なこと。
面倒だからマイナスといっているのではないですよ。面倒だったり、負担だったりしても、子どものことを考えて、必要だ(あるいはベターだ)と思うことであればこそやるわけで、そりゃ親だものね。親が子どものためにしてやることで、単に面倒なことってのは、つまり健全な路線からはみ出さないことなのです。必要と思う分しかやらないから。
それと、親子で何かを学んで、あるいは教えてやって、子どもが「おぉ」と思うような発見や学習を積み重ねていく、そうやって中身にコミットしていくのはぜんぜん違うことです。だって、わかれば楽しいでしょ? 自分も楽しい、子どもも楽しい、その楽しさがうまく重なったら、ひとりより二人、大いなる快感です。
この、子どものためにやってんだか、快感のためにやってんだか、いまいち線引きがあやふやなところが、危ない。
ましてや、中学受験がらみということになると、そこには目に見える大きな成果というものがぶら下がっているわけなので、自分のやりがいと、子どものためがごっちゃになる可能性はすごく大きなものになるんです。
実際は、親が手助けしようがしまいが、大枠のところは子どもの持って生まれたもので決まってしまいますし、成果も失敗もすべて子ども本人のものにすぎないんですけどね。
一番危ないのは、子どもの素質がある程度よくて、自分の思い通りの成果を出してくれそうな按配になったときだと思ってます。なので、先日の記事に、「親子で楽しむ中学受験」の成立条件のひとつとしてこう書きました:
・親が、忍耐強くおだやかな性格で、子どもの飲み込みが悪くてもイラッとしないし、子どもの飲み込みがよくても過大な期待をしたり子どもの出来に自分のプライドをかけたりしないこと。
この、「子どもの飲み込みがよくても過大な期待をしたり子どもの出来に自分のプライドをかけたりしないこと」が一番難しい条件だと思います。
またろうとかだと、いくら手がかかっても(-_-;; 自分とあまりにかけ離れた資質の持ち主だし、なんか感情移入というか同一視しにくいのね。またろうの出来が悪くても自分のせいとは思わないし(^^;; 出来が良いところもまったく自分のおかげとは思いません、思えません。こじろうもわりとそう…
はなひめは、我が家の三人の中では一番その危険がある人材かなと。だから、後期日特取る取らないとか、いろんなことをこれから考えるけれども、そのときに、どこか一線を踏み越えないように…ある程度の距離を置くことは頭に入れておこうと思います。もっとも、やっぱりはなひめのテンポってのが、私の波長に合うようにできてないので、そんなに危険は大きくないと思いますけどね。
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by an-dan-te | 2012-06-13 13:29 | 中学受験 | Comments(12)
「やっぱり親子で受験を楽しむわけにいかなかった」です。
「楽しむ」って感覚は、生理的なある種の一体感だと思うんです。
一体感というよりは距離を保たないと、自分にはしんどすぎて。。。苦笑。
なので、子どもの成長に並走することができたのはよかった。
あと親子でチーム感を得られたのはよかったと思います。
でも おそらく ちょっと楽しむの内容が違って
自分では 最小限の手しか出さずに
監視業務に徹したからでしょうね。
適度な距離感は 大切ですよね。
でも 後期日特は 効率悪いとおもうけどな
日能研は 志望校対策ヘタだと思う。
とらとおなじような 成績の子が 日能研を続けながら 日特だけやめて NNに通い 見事 こじろうくんの学校に合格しました。
賢い選択だと思う。
飲み込みが早い子だったりすると親が一歩間違うと過大な期待をしすぎて自分のプライドをかけてしまい、そこに大きな成果(合格)がぶら下がっていて・・・・・・わかる気がします。
その落とし穴はとても怖い気がします。
私は(もし万一うまく行きそうになるとして)、一線を越えないようにできるだろうか。あまり自信がないです。
いつも考えさせられる記事をありがとうございます。
前者は一徹が飛雄馬のエリート教育の内容に相当コミットしているけど、後者はイチローをバッティングセンターに連れて行っただけで指導まではしていない。一徹くらいコミットするといろいろな意味で危ないというのは、まあそうかなと。
でもそれは、お子さんたちが、親の監視がなくても熱心に勉強する(効率はともかく)タイプだったからよね~ほんと、うらやましいっ
後期日特は…勉強の効率としてよくなくても、まぁ友だちづくりっていうか…
私、実は「巨人の星」って雰囲気しか知らない(中身をちゃんと見たことがない)んですけど、やっぱり、詳しすぎる父は、いくところまでいって「ちゃぶ台をクラッシュ」するイメージですかね。
飛雄馬とイチロー…
あ、たとえば、五島みどりと諏訪内晶子って感じ。
あー、それですそれ。
「子どもと遊ぶ」「子どもで遊ぶ」、あると思います。「子どもで遊ぶ」も、結果として別に子どもにとって迷惑ではなくよい体験になることもあるでしょうけど…
耳が痛いです。私も、子どもの教材や勉強の進め方を考えるときに、自分が「野球の監督」や「オーケストラの指揮者」になったかのような勘違いをしがちです。
で、子どもの勉強がうまくいっているかどうかよりも、自分の立てた作戦がうまくいっているかどうかを気にしてしまうような。
適度な距離感、肝に銘じたいですね。ありがとうございました。
ごめんなさい!! お返事ひとつ飛ばしてしまいました_o_
> 過大な期待をしすぎて自分のプライドをかけてしまい、
> そこに大きな成果(合格)がぶら下がっていて
そう、つい、飲み込まれちゃう。
でも、はなひめは過大な期待を引き出すタイプじゃないからわりと大丈夫(^^;; ただ、私が仕切りすぎるタイプなのでちょっとね。
距離感を大切にしたいです。