「先生はえらい」   

「先生はえらい」と、何のためらいもなくいいきれるような、「人生の師」ともいうべき人がいて、その人からたくさんのことを学べたら、それは幸せなことでしょう。

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でも、「そういう人には、出会えていません」という人もたくさんいます。そういう人は、「先生運」が悪いのでしょうか?

「先生はえらい」というタイトルの本があります(ちくまプリマー新書、内田樹著)。この本の観点はなかなかおもしろいです。もともと、この人がえらい先生、という出来上がった存在というのがあって、その人に運よく出会うとか、そういうことではなくて、「あなたが『えらい』と思った人、それがあなたの先生である」ということを主張しているのです。

この本はまた、「「尊敬できる先生」というのは、「恋人」に似ています」とも言います。ほかの誰がどういおうと、自分の愛する人が世界最高に見えてしまうという、「誤解」の自由と、人の数だけ審美的基準があるという多様性ですね。

師弟関係も、恋愛と同じく、基本的には誤解に基づくもので、この先生のすばらしさを私だけが知っているという、その思い込みから、主体的な学びが発生する、と。先生はむしろ、謎めいていて、どうでも読み取れるようなメッセージを発するところに味があり、そこから、学習者がオリジナルな誤読により、自分に必要なことを学ぶ。

ここまで紹介すれば、明らかだと思いますが、これは私が「均質性の中の多様性に価値がある理由」に書いた話によく似ています。あの場合は先生ではなく友人ですが、恋愛にも似た「チャネル」を結ぶところから学びが生まれる、と書きました。たぶん、本質的には同じことでしょう。

私にはそういう、人生の師と思える人が、JGでひとり、駿台でひとりいます。これは幸せなことです。しばらく前に、JGの同窓会があったときに雑談で出てきたのですが、みんなそれぞれ、あの先生のこういう授業が心に残った、その後の人生を方向付けた、なんてことをいってるのですが、それを互いに、「へーあの先生の授業のどこがよかったかしらね」というか、ぶっちゃけ何にも印象に残ってない(^^;; おんなじ先生方に習っているはずなんですけど、どこがヒットしたかはみんな違うんです。

私の場合は、中三のとき習った国語の先生です。強烈な共産党支持者で、新聞「赤旗」を教材に使うような偏った先生でした。キリスト教と共産党って相容れるものだっけ?? 何がどうなってるのか知りませんが、とにかくそういう先生がいて、文法の教え方が滅法うまかったんです(あ、私にとっては、です)。主に百人一首を題材にして、古文の文法をコンパクトにくまなく教えてくれたのですが、これが感動モノで、文法ってほんとにおもしろい、役に立つ、ということから私の将来の飯の種になりました。

実は、駿台のときの英文法の先生にも、私は深い影響を受けていて、役に立ったという意味ではこの人もとてもよい先生でした。でもこれは、文法おもしろい、というベース部分がすでに私の「人生の師」から伝授されていたので、その上にのっかって非常にうまくいった、わかったという感じが強いのです。なので、名前すら忘れてしまいました。ごめんなさい(笑) この場合は、人というより内容に惚れたというか。

なので、駿台のときの人生の師にあたる人は、お分かりかと思いますが、物理の山本先生です。私の頭の中にあった、定性的力学の世界に、数式の裏づけを与えてくれた人です。ま、勉強の中身といえばそういうことなんですが、それ以外のことも学んだような、それ以外のことのほうが大事だったような気がしてしまうところ、山本先生はまさに「先生はえらい」タイプの先生ですね。

つまり、謎があって人生の深みを感じさせる。サラリーマンとはまったく違う、味のある風貌。迫力ある話術。物理学に対する深い洞察。授業を受け始めてしばらくたって、昔、山本先生が全共闘の議長だったこととかを知りました。先生はそのことについてまったくそのニオイもさせないけど、そういった過去のストーリーもまた、「恋」の材料としては有効でしょう。

山本先生を「人生の師」と思ってる人は、だからけっこういるんじゃないかと思いますね。JGのときの、赤い国語の先生は、もっと私だけの、パーソナルな師でしょう。それだけに、私にとってはより価値が高いともいえます。つまり、より大きな誤解に基づく、より独創的な学びができたということです。

この本がいうように、既製品の、「よい先生」というものがあるわけではなく、あくまで教わる側との関係によって決まるものです。教わるということはクリエイティブな営みなんです。でも、「よい先生」になりやすい条件ってのはやっぱりあると私は思うんですよね(←この部分は、この本の主張とは異なります)。

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by an-dan-te | 2012-04-24 07:44 | 中学受験 | Comments(6)

Commented by 21vertex at 2012-04-24 21:12 x
ここでいう先生は最近はメンターと呼ばれることがあるようです。
尊敬とリスペクト、微妙に違うかもしれませんが、私にはリスペクトできる先生、友人は結構います。
別件ですが、アンダンテさんは公立中でいやな思いをしたようですが、また男子と女子で違うかもしれませんが、公立中にもリスペクトできる友人はいましたね。これはうちの中学の同学年の場合というべきですが。勉強できる人がたくさんいて、勉強できるということもリスペクトの対象になるという意味で幸運だったのかも知れません。
Commented by あむ at 2012-04-25 07:46 x
駿台の物理といったら、私は坂間先生です。
今でも名前を覚えている先生なんて駿台ではこの人だけかも、、、
Commented by an-dan-te at 2012-04-25 12:11
21vertexさん、
そうですね、メンター。
それこそ、「戦いの極意」をつかむとかね、そんな話。

もちろん、大学受験に必要な知識を要領よく教えてくれるって授業であれば、別に先生に惚れなくたって役には立ちますね。

> 公立中にもリスペクトできる友人はいましたね。
それは幸運なことですね。

もちろんまたろうのときは、またろうより勉強のできる子なんていくらもいたんだけど、問題はそんなところにあったわけじゃないし…
Commented by an-dan-te at 2012-04-25 12:15
あむさん、
ふつう、予備校の先生の名前なんて忘れてしまいますよね。私は山本先生のほか、数学の秋山先生を覚えています。英文法の先生くらい覚えておけばよかったのにな(^^;;

中学・高校の先生なら、気に入らなかった先生でもわりと名前を覚えています(爆)
Commented by nonchan at 2012-04-26 00:00 x
私は公立中学校で「この先生はえらい!」と思う師に2人も出会えました。一人は国語の先生で、元演劇青年だった人。もう一人は理科の先生で、後に博物館の館長になられました。教え方がうまかったかどうかは別として、私がそれまで知らなかった新しい世界をかいま見させてくれた先生たちでした。
Commented by an-dan-te at 2012-04-26 07:49
nonchanさん、
それは豊作(^^)
たぶんお二人とも、単に教科を教える先生としての資質にとどまらず、ほかの部分にはみ出た「幅」をお持ちの方なんですね。

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