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早期教育のよい面、悪い面   

昨日の話の続きで、「早いことはよいことだ」と育てられた私の、小学生時代についてです。

  にほんブログ村 受験ブログ 中学受験へ←人は、本のみにて生くるにあらず。

早くから字が読めるようになって、目の前にいくらでも「本」という楽しい世界が開けているわけですから、私はとにかくたくさんの本を読んでいました。親も本はよく買ってくれたし、祖母が来るたびに本屋にいっしょに行っては何か買ってくれたように記憶しています。自分の部屋にはそうやって大量の本があり、自分で持っている本は一度ではなく何度も何度も読み返していました。

学校の図書室の本も読み漁り、高学年になってからは市の図書館にも通いました。読む本は、小説の割合が多かったと思いますが、なんでも。母によれば、とにかく活字中毒で「手近に読むものがなければ調味料のラベルでも読んでいた」とか(笑)

本のほか、ピアノやバレエなどの習い事はいくつか小さいころからやっていました。生活が「本だけ」だったわけではないですけど、相当「本」に偏った生活をしていました。

そのことの利点は、確かに勉強には困らない…要は、文字情報になっているものを素早く統合して理解できるならば、あらかたの勉強は簡単です。難しい中学受験算数はちょっとまた違うかもしれませんが。「読めない」よりは「読める」ほうがいいのは当たり前です。

そして、単に勉強の場で役立つということにとどまらず、それだけ「文字」馴染みがよいということからはいろんな価値が生まれますから、結局のところ、今私が仕事をするときだって、あるいはこうやってブログを書くときだって、すべてそういう「下地」が生きているわけです。

一方、欠点はというと、その一番はっきりしているものは、小学校がつまらないことです。

授業はもちろん退屈で、先生ともぎくしゃくしがちで、同じ年齢の子と遊んでもなんとなく話が合わない。私はよく母のところへレッスンにくる子(ほとんどが年上)と遊んでいました。年も違うし、なにしろ「先生のうちの子」ですから、向こうとしては「遊んであげる」くらいの感覚だったと思いますが。

小学校が好きでないといっても、不登校してたわけじゃないですから、毎日長い時間を小学校で過ごしているのです。その時間が生き生きしていないというのは、非常にもったいないことです。もちろん、先取りがすべていけないということではなくて、このやり方で、かつ私の性格でということでそのようになったのですが、バランスを崩しやすい条件ではあります。

私が小学生時代に困っていたこと…表面上、というか具体的に、いちばん大きい問題は小学校が嫌なことです。それと、実は潜在的に大きな問題は、自分がどう思っているか、感じているか、どうしたいのかがよくわからないという症状でした。

これはなんだか説明しにくいのですが、本の世界にせよ、学校や塾の問題にせよ、「自分の外の世界のどこかに正解がある」というような感覚でしょうか。「どう思う?」と聞かれると困るというか…でも、もっと即物的な、怪我をしたというような困りごとと違って、親に相談することもできませんでした、というか思いつきませんでした。相談されたって困ってたでしょうけど。

この症状、自分では苦しいですが、表面上、あからさまに気づかれることはありません。「おかしくなさそうな感想」をさくっとでっちあげて、言ったり書いたりすることはいくらでもできたからです。でも、どこかやっぱり変だったと思います。六年のときには、クラスの女王様(タイプの子)からいじめられました。もちろんいじめるほうが悪いですけど(いけすかない子だからといって、集団で示し合わせて無視したり、ノートを盗って落書きしてゴミ箱に捨てたりしちゃいけません)、この場合、私のほうにも嫌がられるだけの理由はきっとあったことでしょう。

そんなこんなで、本以外の世界との関係はなんとなくぎくしゃくしたまま、私の小学校時代は終わりました。それでいて、中学受験さえもうまくいかなかったのだから、お得感がないですよね。

私の持っていた違和感は、「早いことはいいことだ」の価値観と分かちがたく結びついていたような気が、自分ではするのです。証明することはできませんが。ただしこのあと、中学高校でよい友人に恵まれ、さらに大学、結婚、育てにくい子の育児と、妙に固まった部分が一枚ずつはがされていって、四十過ぎたころには人も自分も好きになって、ちゃんと自分が何をしたいかもわかるようになって、今に至るわけで、人間の可塑性はたいしたもんです。子ども時代にちょっとつまづいたからってそれで人生決まりゃしません。

そんなわけで、私は自分の子どもを育てるにあたって、「先取り」というものをかなり意図的に避けてきました。それがよかったのかどうか(なにしろ時代も性格も別物ですから)わかりませんけど、ちゃんと小学校生活や授業をエンジョイしているのを見ると、ま、なにはともあれよかった(^^)って、思ってます。

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by an-dan-te | 2012-01-14 09:34 | 中学受験 | Comments(20)

Commented by ocarina at 2012-01-14 15:47 x
私、アンダンテさんとかなり近い育てられ方した気がします。
「小学○年生」はいつも自分の学年より1つ上、とか、
とにかく字を早く読めるようにしつけられ(ひらがな、カタカナ、アルファベット、漢字、オマケで九九…)、
本の虫で、ピアノや(バレエじゃないけど)お習字を習っていて、
小学校は「つまらない」ところだった、のも、
「自分の外の世界のどこかに正解がある」という感覚も同じ。
そして、小6(と中2)で、いじめられたのも…。
母親が仕事で忙しくて、「幼少時期の先取り」以外ではあまり構われなかった、ってのも似てます。
(でも、そういえば小6の時、中学生の英語補習塾に入れられて、中1の英語の教科書読んでたなぁ~)

実家は「ど」がつく田舎で、私立中という選択肢がなく、中学(荒れた公立)も、高校(勉強できるのが一番エライって体質の進学校)も、いま一つ楽しめないまま…。

だから娘には同じ轍を踏んでほしくない。
明確な意思としての言語化はせずにいたけど、娘に先取りをガンガンやらせなかったのは、「実母を反面教師にしてる」ってことでしょうか^^;
そして、やはり中・高選びは非常に重要だと思っています。
Commented by DOLA at 2012-01-14 16:43 x
私も「早いことが良い」ように育てられました。
両親共に地方の出身だったからか私立中(と私立高校)ということなど全く頭になかったようで小学校時代は塾なしで普通に公立中に進みましたが。
私の場合、中学で学校が全く面白くなくなり(←校内暴力真っ盛りの時代ですから)、高校に入ったら今度は成績は3年間深海魚でした。。。

私も自分が過ごしてきたような環境を息子には与えないようにしているところがあります。

小さい時に「この子はすごい、すごい」と言われて育って、途中から「どうしたんだ、この子は」になり、最終的に(1番多感な時期に)「全く一体誰に似たんだろうねぇ(ため息)」とまで言われるような、大人からの評価の酷さ…みたいなものを与えたくなかった といいますか。

昭和時代には「褒めて育てる」とかって言葉もなかったみたいですし、こういう人は他にも結構いると思っているんですけど。
Commented at 2012-01-15 01:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by なつし at 2012-01-15 03:21 x
結局、親は自分の経験を振り返って子育てをするしかありません。
それが、自分の親と同じようにか、反面教師とするのかは、
人によりわかりませんが。

私は早期教育は母が忙しくて受けませんでしたが、
アンダンテさんと同じように、
学校は嫌いでしたし、おもしろいところではありませんでした。
登校拒否児のはしりです。

あの全体主義的な平等観が、
真ん中のレンジの人にはいいのでしょうが、
はみ出ているところの子には、
公教育というのは、居心地が悪いのではないでしょうか。

「早く」がいいかはわからないのですが、
私は公立中から県立トップ校、その後W大に進んだのですが、
高校受験に際し、
初めて中三から塾に入ったら、数学がほとんどわからないまま、
受験に突入することになりました。
それまで、難問にあたるという経験や知識が全くなかったからです。

というわけで、私は現在、算数先取り、学校無視モード驀進中です。

はて、子どもは後に自分の子どもにどう私の子育てを投影するんでしょうねぇ・・・。
Commented by nonchan at 2012-01-15 03:28 x
私も、文字を早く覚えて年齢不相応な本を手当たり次第読みまくってましたが、小学校は楽しかったです。
田舎だったからかな。作文などにとても力が入っていました。
教科書の勉強は、理解したり問題が解けたりしたらそこでおしまいだから、理解の早い子にとっては退屈だと思いますが、作文などは限界がなくて、どこまでもきわめていける(ちょっと大げさですが)ものなので、面白かったです。
毎日何か書いて提出するということになっていたので、本を読んで覚えた表現を手当たり次第に試してみたりして、楽しんでいました。
何について書かないといけない、という縛りはなくて、何を書いてもいいので、それこそ、毎日ネタを考えてはブログを書くような感覚だったと思います。
中学からは「正解を出す勉強」ばかりになったので、つまらなかったですけどね。
Commented by yoyo at 2012-01-15 11:12 x
親は 初めに与えただけで あとは勝手に読みすすんでいったわけですから こういうのを早期教育というのかは 疑問ですが…
年齢相当のものしか 読まなかったら つまらなかったんじゃないかな。
そもそも 何が年齢相当なんでしょうね?

私は 小学校楽しかったですよ。
ミニ先生でした。
周りにわかんなーいって 友達が集まってきてね^^;
先生も それをあてにしてましたね。
必ず 班に 一番手間のかかる子が割り振られていましたから。
班行動が基本で 計算とか漢字とか忘れ物にいたるまで なんでも 班で競争でしたから、
放課後は みんな うちに集まって一緒に宿題。
手とり足とり 面倒見ましたよ~ ^^;

JGは 中学校の間は楽しかったです。
でも 高校は 飽き飽きして一刻も早く卒業したかった。
英国社 三教科は 確かに先取りしてあって
受験勉強に 熱を入れる気にならなかったから???
そういうわけでは ない気がするな~。
固定化された人間関係で 刺激が少なすぎたというか…。
もっと世界ってものは 違うんじゃないかって 確かに思ってましたね~。
Commented by くるみ at 2012-01-15 11:41 x
結局、どの人にとっても、良しにつけ悪しきにつけ、親が与える影響って大きいって事ですよね~。親も影響を受けてきた一人でしょうから。
アンダンテさんとは逆に、親がもっと教育熱心であって欲しかったという友人を知ってます^^;
私も昔は苦しみました。親のレールに乗った生き方に反発したのも、何をしたいのか見つからないのも、母の育て方のせいだと。
母とは異なり、専業主婦を選択したのも、子供が一人なのも、影響があるのかもしれません。
母の育て方が私に合ってたかは別ですが、親の気持ちは理解できます。あの時代の学歴差、貧困、男女差別、親の性格を考えると、教育熱心になるのは当然だったと。
私も、思うようにいかない子育てを経験して、大人になったのでしょうね^^;
どんな育て方だとしても、親と子の考えのギャップは出ると思ってます。時代も家庭環境も性格も違いますからね。
息子にとって一番納得できないのは、ゲーム制限でしょうね。反面教師にするかも^^;
納得できない時は理由を説明するようにします。子育てに迷った時は主人とも話し合います。母親との違いはそこかな。
子育てに正解はないですね・・。みなさんのご意見、参考になります。
Commented by ももんが at 2012-01-15 11:44 x
私は両親が忙しく 早期教育を受けてはいないのですが 早熟だったのか 小学校で親向けの本を読んだりしていた記憶があります 活字中毒かも

地方ですが 小学校も浮いている感じがしましたし 公立中学校は全然楽しくなかったです

今に至って 息子が同傾向で特に早期教育をしなくても文字への興味が強く 小学校では浮いていましたが 中学は自分の意思で受検して 水が合ったのか楽しく過ごしていました 現在高校生です  

そういう傾向は教育で強化されるとは思いますが 本人の性質が大きいのかなぁ と思いました 下の娘は早熟ではなくタイプが全く違うので… 
Commented by an-dan-te at 2012-01-15 15:46
ocarinaさん、
ほんとだ、似てますね~
> 「自分の外の世界のどこかに正解がある」という感覚も同じ。
これは、どこから来るんでしょうね??
別に、純粋に「文字を早く覚えたこと」から来るというより、親から注がれた価値観とか、生活が本に偏っていたことからくるような気がするんですが。

> 中学(荒れた公立)も、高校(勉強できるのが一番エ
> ライって体質の進学校)も、いま一つ楽しめないまま…。
私は中学編入以降はたいへん快適に過ごしましたのでその点はラッキーだったです。

娘はすでに私の轍を踏めないほど離れてるからもう大丈夫(笑) 別の面は心配(^^;;
Commented by an-dan-te at 2012-01-15 15:53
DOLAさん、
> 私も「早いことが良い」ように育てられました。
そして、中学受験をするとかではないんですね。漠然と、「早い」ことからスタートして、勉強ができる子になるだろう的な期待でしょうか。

> 最終的に(1番多感な時期に)「全く一体誰に似たんだろうねぇ(ため息)」
それはヒドイ(-_-;;

先取りの対極にあるまたろうなんて、どの先生に再会してもほめまくられますよ(^^;; はやいうちに「先取り」してあると、そこ基準になっちゃいますから褒め育ての逆になりがちですね。
Commented by an-dan-te at 2012-01-15 15:58
***(2012-01-15 01:28)さん、
それはまたずいぶん、はっきり明確な先取りですね。塾ですし。

居心地の悪い小学校を経て、初めて話の合う友人ができたときの「世界の広がり感」痛いほどわかります。

お子さんが自分の中から「やるもん!!」という意欲がわくようになったことはなによりじゃないでしょうか。
Commented by an-dan-te at 2012-01-15 16:04
なつしさん、
誰しも、自分の育てられ方の中で、うまくいってる部分は「当たり前」「ふつう」に受け取りがちで、苦労した部分については意識して別の子育てをめざすものですよね。

英語で苦労したから英語…数学で苦労したから数学(算数)。公教育の中でノーフォローで育ってきて、いきなり中三から塾、そして県立トップというのは、それはとてもギャップが大きくてたいへんだったと思いますが、それができたのはすごいですね。

算数の先取りでどういう展開になっていくのか、私にはさっぱりわかりませんが、メリットを生かしデメリットを少なくするよう、無理のないように注意深く進めていけばいいのではないでしょうか。どういうときにどういう危険があるか、少なくとも我々の親世代よりはよくわかっていると思います(事例が蓄積されたから)。
Commented by an-dan-te at 2012-01-15 16:08
nonchanさん、
> 作文などは限界がなくて、どこまでもきわめていける
確かに、そうですね!! 新鮮です。

各自のペースで「先」を目指して進んでいけますね。教科書棒読み授業は、発展性もへったくれもないです。

> 中学からは「正解を出す勉強」ばかりになったので、つまらなかったですけどね。
はは(^^;;
学習内容も立て込んでくるし、作文重視で進めるわけにもいかないですよね。あ、それに、各教科の先生が分かれるし。
Commented by an-dan-te at 2012-01-15 16:14
yoyoさんはね、
お母様を拝見する限り、そんなにバランスの取れた子育てをするタイプじゃなし、それに私の母よりずっと勉強の中身がわかるだけに逃げ場がないっていうか、なかなか「たいへん」だったんじゃないかと思うんですけど…

でも、yoyoさん自身は、「私よりは」非常に安定感のある人格に育ってましたよね、中学時点で。私はそれに助けられてなんとか「自分」というものをとりまとめにかかることができたという気がします。

小学校で、そんなポジションというのもあるわけですね。やや邪道な感じもするけど(^^;; 退屈したりハジかれたりするよりはいいですね。

yoyoさん、高校では退屈してたのね。私は、別に退屈してなかったわよ、受験勉強したから(笑) 安定しすぎているというか刺激が少ないというのはそうかもね。大学いってからは刺激だらけだけど。
Commented by an-dan-te at 2012-01-15 16:21
くるみさん、
私の親のさらにその親の世代になると、戦火をくぐり抜け、食糧不足の中、どうやって子どもを生かし続けるか?? というくらいのタイミングですので、早期教育について思いをいたしたことはないでしょうね。

私たちの親の世代は、とりあえず飢える心配とかなく子どもを育てることができるようになって、でも、子育てに関してはモデルもなく、難しかったと思います。

みなさんのコメントも拝見していて思うのは、やはり、育てられ方のうちマイナス面というのは強く受け止めてしまうところがあって、みんな自分の子育てのときにはそれを強く意識して改善しようとしてるってことです。

それが吉と出るか凶と出るかはなんとも…

私も、タイムマシンに乗っていって、四十代になった子どもたちに感想を聞いてみたいです(^^;; 怖いけど。
Commented by an-dan-te at 2012-01-15 16:25
ももんがさん、
お子さんのタイプによるものはもちろん大きいですよ。いくら先取りが好きな親でもどうこうしようがない子どもってのもいるし(^^;; ほっといても先へどんどんいってしまうタイプの子どももいますよね。

子どもがどんどん先へ進んでしまう場合と、親がいっしょうけんめい引っ張った場合は、多少違うかもしれません。少なくとも価値観の刷り込みという点では。

それでもやっぱり、早熟タイプの子が小学校とかで居心地悪い思いをするってのは、避けにくいですね。
Commented by まる at 2012-01-16 11:31 x
母が理系だったので私は本を読まされ、活字中毒になりました。
小学校はなじめませんでした。
ろくに勉強もせず受験し失敗、こじんまりした私立中学に行きました。
ここでは自由にさせてくれたのでよかったです。
高校でやっと波長が合う人たちに会えました。

子供はまったく勉強に興味がなく入れる大学に入りましたが、大学では勉強していました(笑)。
就職したら誰も教えてくれないからと本を読み出したので驚きです(笑)。
Commented by DOLA at 2012-01-16 16:52 x
>漠然と、「早い」ことからスタートして、
>勉強ができる子になるだろう的な期待でしょうか。

それもあったと思うんですが、現在の父が長期休みに孫(うちの息子と甥っ子)に会うと言うセリフが
「宿題は持ってきたか?」
そして、そのドリルを見て自作の問題をチマチマ作り始めたり…っていうところからして、
私が小さかった頃も子どもとの遊び方がわからなかったんじゃないかと思います。
自分は「父親と遊ぶ」と言う経験がなかったというのもあると思いますし、あとは天性のものでしょうか。

何かを教えて、教わった方は(とりあえず)褒められて、教えた方も満足感が得られて、褒められたくて先に進んで…そんな感じだったんじゃないかと。
円滑に回ってる間は母もそれでいいと思ってたはずなので。

小学校時代に学業に困らなかったこと、読書感想文では入選していたこと、なので学級委員には選ばれるようなタイプだった…程度しか私の場合はメリットがなかったと思います。

違うように育てた息子が高校になったとたん深海魚です。言われて嫌だったセリフは言わないようにしていますが、私は私でかなり未熟な親なので息子も思うところがあるかも。
Commented by an-dan-te at 2012-01-16 22:24
まるさん、
活字中毒は、得るところも大きいけど、バランスを欠きやすいですよね(^^;;
中学、高校と経って、合う人に会えたのはよかったですね。

> 大学では勉強していました(笑)。
本人が必要を感じたときが、本物のチャンスですね(^^)
Commented by an-dan-te at 2012-01-16 22:27
DOLAさん、
> 「宿題は持ってきたか?」
えっ(o_o;; お孫さんに!?
なるほど、ご自分が得意な分野で子どもの相手をするという感覚ですかね。

> 言われて嫌だったセリフは言わないようにしていますが、
まぁ、その一点だけでも、世代を越えて「学習」した価値がありますよ。

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