努力の価値を体感させる
2011年 09月 08日
←立ち止まらず、前に進むこと
この話は、中学受験勉強のモデルとしては適切でないところがあります。というか、適切でないところがあると(私は)思います。
つまり、ピアノならそういう路線は大いに「あり」。趣味なのだから、うまいとか下手とか、いいんです、本人が楽しければ。他人と比べる必要はないし、「がんばる」ことなく到達できるレベルで満足していても、かまわないんです。
でも、中学受験をするからには、そういうのを目指しているわけではないですよね??
小学校三年で、私が練習をしたくなくなり、「ピアノやめたい」「いいわよ」。あっさりやめてトラウマにもならず嫌いにもならず、三十年たってピアノ復活して楽しく弾いている。それはいいんだけれど、
たとえば中学受験大手塾に通い始めて一年、成績は上がるときもあるけど下がるときもある、お友達の誘いを断って塾にいかなきゃいけなかったり、勉強しなきゃいけなかったり。それで
「塾(中学受験)やめたい」「いいわよ」
…違うだろう、それは~。
もちろん、私立中とひとことでいってもその中身は様々であり、あまり勉強の成果を問われないところもあるでしょう。そういうところでも、公立中とは違う特色を持っていて、それが好きなら通う価値はありますよね。
けど、そういうことではなくて、SでもNでもYでもWでも、とにかくそういう大手塾に入れて勉強を始めさせたのは(あるいは、通信や親塾にしても、それと同等の勉強をさせようとしたのは)、受験勉強をきっかけにして、得させたいものがあったからではないでしょうか。
そのひとつは基礎学力。現状、公立小学校の授業と宿題では、基礎学力として非常に危ういものしかなかなか身につかないので、それよりはしっかりした学力を身につけさせたい。中学以降の学習の基礎となり、将来の選択肢と自由度を広げてくれるような。
そしてもうひとつが「努力の価値を知ること」。別に「巨人の星」みたいな「おもいこんだらしれんのみちを」ってんじゃなくて、無理をしない程度でもかまわないんですが、毎日まいにちコツコツ勉強を積み重ねて、二年なり三年なりそれを継続したら、どんなに遠くまで来れたのか、そういう実感が持てること。
その点でいえば中学受験である必要はなくて、またピアノの話に戻りますけど、単に音楽好きにさせるということなら、練習をやらせることにこだわる必要はありません。週一回、レッスン中しか弾かないで何年もたっても、突然何かのきっかけでこれ弾きたい!! になったあとにはそれなりに趣味として楽しめるものになっているものです。またろうやこじろうのように。
でもそれは、アニソンが両手で弾けるとかそういう話であって、ショパンやシューマンやドビュッシーやラベルをどんどん弾いて楽しめるということではない。そういうレベルに達するためにはやはり、毎日の、それ自体おもしろいとはいいにくい練習が必要で、その長期間の積み重ねが、より深い楽しみへ導いてくれるのですよね。
中学受験も同じように、何年かにわたる積み重ねがあって、その結果すごく遠いところに到達することができた、という体験ができます。いろんなことがわかって、つながって、計算したり試したり考えたり、読んだり書いたりすることがより自由にできるようになって…そして、ハードルの高い入試を課す中学に入学できた。
その成功体験には、それ自体価値があります。考えてみればすごいことです。いっしょの学校に通う仲間は、全員が「努力の価値を知っている」子なんですよ。公立中とのいちばんの違いは、実はそこにあるという気がするんです。
その中では、何かにいっしょうけんめいになってる子を茶化したり馬鹿にしたりする雰囲気はないし、それぞれがやりたいことに邁進してれば、くだらないいじめをしてる暇もありません。人生を棒にふるほどのバカやってる場合でもありません。そして何かに優れているという子がたくさんいて、いろんな影響を受けることができます。
またろうの中学校生活とこじろうの中学校生活を比べて、私立中があまりにも居心地よいので、何が違うんだろうと考えてみると、やっぱり一番違うのはそこかなと思ったのです。
そして、そのためには、「毎日こつこつ」の部分が本人的に気の進まない部分であっても取り組ませる、ちょっと嫌になったといってもその気まぐれで簡単にやめさせてしまわないということがどうしても必要です。中学受験で親ができることの中で、いちばん大事なところはそこじゃないでしょうか?? 強制、無理やり、押し付けでなく、どうすれば「毎日こつこつ」を実際に続けるように促せるのか。
親がなーんにも注意を払わなくても、そういうことができる子ってのもいるものですけど、たいていはそうじゃないので。まだまだ、親の愛と知恵が試される日々が続きます。
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by an-dan-te | 2011-09-08 07:50 | 中学受験 | Comments(12)
努力することの価値を知っているかどうかって、すごく大事なことだと思います。
年齢的なものもあるかもしれませんが、今娘の通う小学校では、色々なことを頑張ること(それは勉強だけでなく、たとえば学校の活動だったり習い事だったり)を馬鹿にしたりする子もいたりします。
まぁそんな風に斜に構えているのがカッコいいと思ったりしているお年だから?と暖かい目で見てあげればいいのかもと思いますが、この年齢にしてそんな風に思うのはさみしいねと思う自分がいます。
勉強でも、何かの習い事でも、努力なしで上達(一部天才は別かもしれませんが)するものはなくて、その価値を知ってくれただけでも大収穫!と思います。
もちろんそこに結果がついてきてほしいと思ってしまうのが親なんですけれど。
高校受験でも私は同じ気持ちです。
中学生も、遊んでる子はたくさんいます。あまり努力しなくても入れる高校でいいや~って子も多いですから。
息子は中学生なので、本人の意思の部分も大きく、中学受験とは少し違いがありますが、
「どういう努力をしたら(しなかったら)こういう結果になる。こういう結果を得たいならこういう努力をする必要がある。努力しても敵わない部分がある、あるいは人がいる。」
これはまだわかっていません。大手塾に通うことで、これを知る機会をもらったと思っています。
今更ながらですが、中学受験、そして難関を目指す高校受験の価値がわかったくるみでした^^;
中学受験することの意味を、よく尋ねられますが、
「レベルの差」で語ることにずっと違和感を感じていました。
「全員が努力の価値を知っている子」
そうですね、まさにその環境を手に入れるために
親子で七転八倒してるわけですよね。
これは、勉強に限らず、スポーツでも言えること。
だって、オリンピックなんて
「全員が、努力の価値を知っているアスリート」なんですもんね。
目標に向かって、自然に努力できる、、、
そこまでたどりつけばラクなんだけどなぁ。
が、中受でも高受でも、現実的には「努力して得る」という純粋なことだけでは済まず、ストレスで性格変わったり友人関係壊れたり親と決裂したりトラウマになったり恨んだり後悔したり・・ ってドロドロもからんでくると、「なるべく苦労させたくない(親自身も苦労したくない)」と思ってしまう・・。そんな負の泥沼に落とさず、もしくは落ちてもフォローして伴走するには、親も日々成長せねばならないですね。
本人に確固たる目的意識があれば道に迷わないのかもしれません。高受・中受の年齢では、なかなか難しいところですよね。
#「くだらないいじめ」がやっぱりある私立学校の話も聞きますし
「努力の価値を知っている子に育てたい」という親を持っているということは感じますね。
昨年くらいから学校説明会とか行くようになって、「私でもあんまり浮かない感じの保護者が多そうかどうか」なんてことを横目でチェックしたりしています。
そういう意味では、親・子の(気)苦労は別として、国立大学の附属中高(高校進学に一応ハードルがある)が「全員が努力の価値を知っている子」達が一番緊張感を失わずにいられる学校なのかなと思います。リスクも高いですが。
公立中は、ものすごく優秀で多方面に努力して才能を発揮してる人もいるし、何にも意欲をもっていないように見える人もいるし、ほんとに幅広いです。
> まぁそんな風に斜に構えているのがカッコいいと思ったりしているお年だから?
お年頃なのでそういうこともあるかもしれないのですが、からかわれたりはじかれたりするのは嫌ですよね…
どんさんのお子さんはいろいろがんばっていますね!! 私は、音楽とか、スポーツとかだとわりと結果を求めず生ぬるく見守ってるんですけど、中学受験はやっぱりある程度の結果を求めたいと思ってしまいます。
> 私が言いたいこと全部書いてくれた(涙)
そうですか(^^)
受験はうまくすれば、そういうもろもろのことをつかむいい機会になってくれると思います。中学受験でも高校受験でも。本人・親の比重が違う分、テイストは違いますね。どちらがよいとはいえませんけど。
こじろうの学校の居心地よさの正体ってなんだろうとずっと思っていて、私なりの結論(のひとつ)です。
最初は、なんとなくレベルが揃っていることなのかと思っていて(もちろんそれもあるけど)…でも、勉強に関してはそんなに揃ってるわけじゃないし(^^;; そんなことより、なんかまっすぐで、いっしょうけんめいで、かわいい。
> まさにその環境を手に入れるために
> 親子で七転八倒してるわけですよね。
あと少しですね~
中学受験の意味を、今日書いたようなあたりを中心として考えるなら、壊れるまでやったってしょうがないので、やりようとか量とか…
放任でなく過干渉でなく、というのはほんとうに難しいです。こじろうのときのごたごたを考えると、あんまりうまくやれてた気はしないんですが(^^;; その後のこじろうの中学生生活を考えると、ま、結果オーライというか。今度はもうちょっと考えてやりたいと。
まーぶっちゃけ私立ってもいろいろなはずで、私がよく知ってるのは自分が通った公立・私立各1と、またろう・こじろうが通ってるところですから感覚はちょっと偏ってるかも(^^;;
私のイメージでいうと、私立はシラケてる子が少ない、という感じかな。各学校の雰囲気は、やっぱり直接行って空気を吸って調べるしかないですね。
はは、賞味期限(^^;; ウマいこといいますね。確かに、何にも熱中しない日々をだらだら過ごしてたら、そのうち無気力に突入していきそうですもんね。
こじろうの学校を見ていると、中学に入ると今度は運動系部活に入って、がーーっとがんばって、勉強はまぁあんまり時間がないから最低限おさえとけみたいな、そんな感じが主流かな。勉強で特にがんばっている人もいるみたいですが。どのみち、努力の方向が勉強でないだけで、よさげな雰囲気ではあります。
大学生になってどうなるのかはわからないのですが、楽しみなような怖いような…
勉強での緊張感の持続というのは、たるみどころがない国立中の特徴ですかね。勉強以外のことに熱中する時期(そして親が心置きなく手を離せる時期)を作りたかったので考えませんでしたけど。