内申という評価   

昔、私が中学生だったころの公立中の通信簿といえば、5~1の「相対評価」で、ただどうやってそのように相対的に並んだのかというのはざっくりあやふやなものだった。

  にほんブログ村 受験ブログ 中学受験へ←こじろうの中学受験には、「内申に自信なし」という面がないとはいえない

もちろん、定期テストの点数の良し悪しというのは含まれているのだが、それが良ければ良いとも限らず、あとは先生の心証?? とかなんとか。憶測は憶測を呼び、なんとなーく不気味。「体育は熱があっても休んじゃいけないんだって」などという噂がまことしやかに囁かれ、実際、先生によってはそれが本当(病欠でも成績ダウン)だったりして。

時代が変わって、またろうの中学生時代は、「観点別評価」というものが導入されていた。最終的につけられる評価は昔と同じく5~1ではあるのだが、昔と大きく違う仕組みになった。

・絶対評価であること(5の数は決まってない)
・内訳(観点別)が示されること
・観点ごとの評価については評価項目が明らかにされていること

たとえば、またろうの三年三学期、国語ではこうなっている。

国語への関心・意欲・態度(1) 提出物(ノート、プリント、作文、書写)、授業への取り組み
話す・聞く能力(1) 聞き取りテスト、学習プリント
書く能力(1) 定期テスト、書写、作文
読む能力(1) 定期テスト、小テスト、ノート・プリントの内容
言語についての知識・理解・技能(1) 定期テスト、漢字テスト
* 括弧内の数字は、5段階評価を計算するときの重み付け

つまり、その昔、「先生の心証」といってぼかされていたものは、提出物がすべからく期限どおり提出されるかという問題に落とし込まれ、いったいそれで測られているものが国語への意欲・関心・態度なのかという疑問はさておき、公平性・透明性の点では著しく向上した。

そもそも、評価というものの目的を考えれば、
(1) 生徒のその学期の学習について、到達度を示すものであること
(2) 向上の余地がどこにあるかを示し、努力の方向をわかりやすくすること


だいぶ前進したといえるのではないだろうか。たとえば、またろうの数学だったら、定期テストの点数はこのまま、ノートさえ提出すれば5になるねということがわかるわけだから、次の学期ではそのように努力すればいいのである。

というわけで、またろうの内申ではさんざん苦労させられたものの、このシステムの公平性・透明性の点では特に問題と思う部分はなかった。もっとも、先生によっては、各観点の評価について不明点を聞きに行くと妙に防衛的になる人もいたが…

自分の評価方法に自信があれば、きちんと教えてくれるはずだよね。(1) も (2) も先生のお仕事そのものだし、(2)は教育そのものなんだから。

もっとも、そういう「内申」というものを取ることが苦手な子(例: またろう)の高校受験を、親としてどうすればいいかってのはまた別の問題なんだけど(-_-)

にほんブログ村 中学受験 ←ランキング参加しています。
[PR]

by an-dan-te | 2011-01-16 09:08 | 高校受験 | Comments(0)

<< 日々の課題量は割り算で決まる?? 有終の美…を飾らなくていいのか!? >>