計算ミス対策: もうひとつの視点を持つ!?
2010年 11月 17日
←たかが計算ミスされど計算ミス
じゃあ、どうすればいいのか??
と、思って、よしぞう(思いっきり不注意タイプなのに中学受験OKだった)に聞いてみたところ、
「もうひとつの視点があってちょっと冷静に見ているようなのがよい」
とのことでした。それはどんな状態なのか??
想像するに、計算を超速で行うにはもちろん高い度合いの集中が必要で、それは方向としては「ヒートアップ」している状態。集中が深まると効率も上がり、けっこう広くよくものごとが見えていたりするんだけれども、冷静とは違う。なにしろ、元来不注意な人なんだしね…字も下手だし、数字が化けたり、プラマイ逆になったりは日常茶飯事。それを、一歩引いて冷静に眺めているような視点を並行して持っているとよい、というのである。なんのこっちゃ。
私が卒業研究をやったときの題材って、実は「数学教育」で、問題を解くときの思考過程をExpert(熟練者)とNovice(初心者)で比較したりしたものだった。そのとき、Expertの被験者として協力してもらったのがよしぞうで(^^;; Noviceの被験者となってくれたのが家庭教師先の高校生。
思考過程の記録といっても難しいわけだけど、そのときやったのは、「プロトコル分析」と呼ばれていた、名前だけはかっこいいけど、ぶっちゃけただ解きながら、考えていることをしゃべってもらって録音しておいて起こす方法。なんだその粗雑な方法は?? って、まぁ、いいじゃないですか修論じゃなくて卒論だし。今思えばずいぶんいい加減なものでした。
それで、解きながらしゃべれっていわれてもけっこう、やってみるとわかるけど難しいの。自慢じゃないけど私もあまりうまくない。これが、よしぞうはむっちゃうまかったですよ。しゃべりながら解いても何にも邪魔されず、ストレートフォワードに解決にたどり着く。
あのときのシーンを思い出すと、なるほど、もうひとつの視点を持っている状態ということはあるかなぁという気もするんだけど、だからそれをマネできるかというと、それは違うと思う。脳みその構造がそうなっていない人には、やっぱりできないんじゃないだろうか。
むしろ、こういう考え方のほうがいいかも:
ベテラン翻訳者さんに、模擬翻訳作業をしながら解説してもらったことがあるんですが(プロトコル分析に似てますね。これはプレゼンだけどね)、そのとき彼が言っていたのは、一文訳すたびに、必ず新たな目でその一文を日本語として読み直して、それで確定するということ。
一見、時間が無駄のようだけれども、うっかりした間違いは防げるし、文脈もよく把握できるし、迷宮にはまりこんだり大きな手戻りが出来たりというのに比べると格段に効率がいいと力説していた。
リアルタイムで「もうひとつの視点」が持てなければ、時間差で持てばいいわけだね。それならまだわかるというか、そういえば私がこじろうといっしょに公文を始めて、ン十年ぶり(?)で計算をまとめてやったら、間違うこと間違うこと、そりゃひどかったんだけど、一行書くごとに、今自分が書いた行にちらりと目を走らせることに慣れたら間違いが激減した。そんなに時間はかからない。間違ったあと気づくまでが短い分、時間の節約になるくらい。
…と、ここまで書いて、だから「もうひとつの視点」をというと何かもっともらしいんだけれども、この方法を中学受験に生かそうとすると、大きな難点があることに気づく。
本人がその気にならないと意味ない。
そうなのだ。まず、本人が間違いを減らすぞという不退転の決意を持ってくれないことにはね。
で、往々にしてその決意に問題があったりするわけじゃないですか(-_-;;
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by an-dan-te | 2010-11-17 13:16 | 中学受験 | Comments(6)
「新たな目で」ってとこが味噌なんでしょうね、まさに「もうひとつの視点」ってとこ。
私の表現だと、いかに自分自身が新鮮な気持ちで(=客観的に)対象に再度向き合えるかってとこでしょうか。ミクロの目とマクロの目を使ったり、ありがちなところでは、少し時間をおいたり。
結局は思考の方法だから、個人が自分で確立しなきゃいけないところが、中受への応用のみならず、一般論では語れない難しさなんでしょうね。
そうですね~考え方の癖とかって、やっぱり人によりぜんぜん違うから、自分がどういうタイミングでどういうふうに「ぎゅっと脳みそに力を入れる」みたいなのが具合いいのかって、自分で自分を観察するのが一番なのよね。
で、そんだけ自覚的にコトに当たれる子ならそもそもたいがいの問題は解決されるわけで(^^;;
中受の時は ほとんど間違えなかったと記憶しています。
一行ごとどころか ( )の中の計算を一つするたびに
別の方法で検算しながら 進んでいたんですよね^^;
この 見直すさいのタイムラグとか どこまで塊を一気に見直すことができるとかが 数感覚なのかな~。
「なんかクサイぞ、この数字・・・」と感じる直感力が大切だと
信じております。
直感も、ある程度は「経験」で培っていくものだと思うので、
セロリマン、もちょっと計算練習やろうよ!(叫)
そりゃyoyoさんは、中学受験のときの計算は間違えずにできてたはずですよねぇ…大学受験のときはその能力をあんまり磨こうとしなかっただけで。
見直しの要領がよければ負担にもならず精度も上がり、悪ければ見直す気もしなくなるわけですね。
あーそれそれ、左脳で計算したら右脳で答え合わせですよ。眺める、観賞するのが大事よね。それにはやっぱり場数もふまないと!! セロリマンくん、(もちょっと)がんばれ~(^-^)